#5 鍵屋醸造所

神奈川北東部に位置する川崎市の武蔵中原駅。

都心からもほど近いこのベッドタウンに、1軒のタップルームがある。アイリッシュパブのような雰囲気を醸し出すこのタップルームの名前は”CAGHIYA TAP ROOM”。音楽活動を経て、2018年に鍵屋醸造所を開設して以降、一貫して ”自由なクラフトビール作り” にこだわり抜いている代表取締役の佐藤氏に話を伺った。

「イギリスのパブでロックを!」

佐藤氏の原体験は、イギリスのパブでのロックバンド演奏。日本にはない、イギリス特有のパブカルチャーに惹かれてこの鍵屋醸造所を始めた。

「20代はずっと音楽活動をしていました。ロックバンドです。その活動でイギリスに滞在していたんです。イギリスで演奏する場所がパブということが多くて、週末はだいたい演奏していたので、そこでイギリス特有のパブカルチャーを体験して、日本でもそういうカルチャーを実現できないかと考えたのがきっかけです。パブが社交場になっていて、小さい町に最低1つはあるんですね。週末になると老若男女集まって、会話をつまみにビールを飲んでいるカルチャーが楽しいなと思って。人であふれかえって、ガヤガヤしている場所なので、ジャズとかクラシックではなくロックバンドの演奏が多かったです。音楽だけでなくコメディアンが来たり、とにかく静かに楽しむというよりは、ワイワイ盛り上がれるコンテンツが多かったですね。30歳で日本に帰ってきたのですが、そういうパブカルチャーを広める場所を日本でも作れないかと考えました。」

イギリスでロックバンド演奏を。なかなかセンセーショナルなトピックに、取材開始5分で佐藤氏の独特の雰囲気に引き込まれた。ビール醸造より先にパブありきで事業を考えていたとのこと。

「実は、最初は特にビール醸造したいという感じではなかったんです(笑)。ビールありきではなく、パブありきでしたね。とにかくパブをやりたかった。パブでお客さん同士で話をしていただきたい。人がつながるというプロセスの中でビールは1つの鍵になればよいという考え方なので、”とにかくビールを作りたい” という感じではなかった。 では、なぜビール醸造を始めたのかと言うと、ホームブリューイングで作られている多様なビールに出会って、すごい ”自由な飲み物” だと感動したことがきっかけですね。ビールが ”人と人とが繋がる鍵” になるんだろうと考えて、ビール醸造の道に進んだんです。」

ブルワーさんの多くは ”とにかくビールが好きだから醸造家を目指した”、という方が多い印象だがその意味で佐藤氏のビール醸造開始の動機は印象深かった。

「”自由なビール”を追求」

”人と人が繋がる場所”としてのパブと、”人と人が繋がれる鍵”としてのクラフトビール。その掛け合わせで鍵屋醸造所が構成されているという思想だ。

「ホームブリューイングは海外では普通に行われていますが、そのバラエティの豊富さやレシピの自由さに触れて、 ”ビールってなんて自由な飲み物なんだ” って感動したんですね。日本にはエールビールがあまりなかったので、基本ラガーを飲んでいたんですが、海外のパブでエールに出会って、さらに海外のホームブリューイングで作られたエールに出会うと、パブで飲むエールからさらに進化したエールになっていて、そこに感動しました。同じエールでも様々なアレンジが加えられていて、なんというかすごい自由な飲み物だと思ったんです。 特定のスタイルという正解に向かって醸造していくというよりは、ビールというジャンル(=発泡酒免許で製造可能な範囲内)で新しいビールを作り続けていきたいと考えています。世間一般で流行っているお手本があって、そこに近づいているから美味しいビールという価値観には違和感を感じています。 特徴的な例を挙げると、ブドウ果汁を使った発泡酒を作っています。一見ワイン?といった感じですが、ちゃんとしたビールです。他にも乾燥させたマタタビを使ったビールも作りました。そんな創作ビールでお客さんに新しい体験を提供できたらと思いながら、日々レシピを考えています。 ”自由なビール” で ”人と人が繋がれる鍵” になることが鍵屋醸造所という名前の由来にもなっています。

クラフトビールとは本来その ”自由さ” が大きな魅力の1つであるはずだ。にもかかわらず昨今は●●スタイル、●●系といった形でカテゴライズされることが多く、そのカテゴライズという行為そのものがこの ”自由なブリューイング” にブレーキをかけてしまうという側面もありそうだ。 業界の多様化が進むと、同じモノサシで比較し、評価をするという動きが発生するのは市場原理だと言えるだろう。しかしその動きが “自由なスタイル” を徐々に限定するリスクがあることも事実。一方、同じモノサシで市場にリリースされる多様なクラフトビールを測定し評価すること自体は、 “専門性の高いクラフトビールに関する情報格差をなくす取り組み” として、潜在的なクラフトビールファンへの訴求に繋がり市場拡大のきっかけにもなるとも言える。 ブリューイングの自由さを担保しながら、これからクラフトビールを楽しむ潜在ファンへの間口を広げること。これが、今後のクラフトビール市場の大きな課題とも言えそうだ。

「R&D設備 | 量産設備の区分けで高回転トライ&エラーを実現」

「うちは、醸造所を2つ所有しています。その一つは武蔵中原に位置し、1,200Lの発酵タンクを6基設置しています。もう一つの鹿嶋田の醸造所は、石見式*1の方法で125Lのストッカー(発酵タンクの代替となるもの)を10基使用しています。 鹿嶋田の醸造所はラボのような役割を果たしており、多種多様なビールの試作を高い回転率で行うことが可能です。新しい試作品を短期間で生み出し、合格ラインに達すれば、武蔵中原の醸造所で量産するというのが基本的なフローです。 毎月新しい種類のフルーツビールを試作として生み出しています。これまでの6年間で、細かい調整の施策を含めると、100種類以上のビールを生産してきました。これはうちの新しいビール・自由なビールを追求し続ける思想に基づいています。 ちなみに、武蔵中原の配管・配線は私が組みました。過去の経験や基礎知識ゼロでやったのですが、大変すぎて二度とやりたくないですね(笑)。ただ、設備ってDIYでも作れるものですね。今はモノはそろうし、情報も海外のサイトからいくらでも引っ張ってこれる。実際にそれをやろうとするかどうかが重要なのでしょうね。」

 



製造体制にも特徴のある鍵屋醸造所。R&Dと量産の設備を切り分け、新しいビール・面白いビール・自由なビールを創造し続ける強い想いに触れた。

 

*1:石見式とは通常の金属製タンクではなく、ポリ袋を使って醸造する手法。ポリ袋を使用することで、醸造後の洗浄作業が簡略化される。1回の仕込み量は少量となるため、マイクロブルワリーで導入されるケースが多い。

「クラフトビール業界はなぜこんなにオープンなのか?」

「元々アメリカのホームブルーイングがそういったカルチャーだったので、そこに起因しているんだと思います。レシピは秘密にしない、共有する。ホームブルワーさんは利益を追求しているわけではないので、レシピを秘密にする必要がなくて、”良いアイデアは公開して、美味しいビールを世の中に増やす” というカルチャーが根っこにあるのだろうと思います。うちも他のブルワーさんから聞かれることが多いですが、秘密にすることはないですね。またブルワーを目指す方もよくいらっしゃいますが、知っていることは全て教えてますよ。それに加えて設備もこれ買った方がよい、場所の制限があるなら無理に大きなタンク設置する必要ないといったアドバイスもしますね。 別の観点で言うと、そもそも作る人や場所が変わるとレシピが一緒でも全く同じビールにはならないので、特段秘匿性を保つ意味がない。という考え方もありますね。うちのビールでも季節・温度の条件次第で微妙に味が変わる。やはりビールって生き物なので、クローンを作ることってほぼ不可能だよね。という考え方ですね。」

地域に根付くことを考えると、同じ商圏のブルワリーとお客さんの奪い合いが起こってもおかしくないものだが、その点は全く気にしていないと語る佐藤氏。

「同じ商圏のブルワリーさんと競合するという考えよりは、協業して一緒に地域を盛り上げようと思っています。マーケットも成熟していない、各社そこまで大きくない規模だからからこそ一緒に地域単位で盛り上げたいと思っています。現時点ではクラフトビールを飲む層は少なくて、そのマーケットはまだまだ小さいので、そのマーケットを取り合ってもあまり意味がないと思うんです。うちが狙いたいのはレモンサワーとかワインを飲んでる人たち。クラフトビールって比較的新しいものなので、まだ試したことがない人がたくさんいるはずなので、そういった人たちに鍵屋醸造所のクラフトビールを飲んでもらいたい。それがきっかけでクラフトビールにハマってくれたら、今既に顕在化しているクラフトビールファンのマーケットよりよほど大きなマーケットを狙えますね。 かといって、クラフトビールファン顕在層をないがしろにする気は毛頭なくて、”人と人が繋がる鍵” というコンセプトに立ち返ると、クラフトビール好きな人もあまり知らない人もみんな来てほしいってことですね(笑)。」

まだクラフトビールを知らない、”潜在的なクラフトビールファン” を視野に入れると、そのマーケットサイズは今のクラフトビール市場のはるかに凌駕する。マーケットサイズが大きくなることで、全ブルワリーがそのメリットを享受できるという理想的な未来を感じた。

「甘いビールを作りたい」

うちのビールの特徴は、”基本的には苦くなくて甘い、そしてハーブが入っている” です。先ほどお伝えした通り、ビールが得意でない人にも楽しんでもらえるためですね。ビール嫌いな人に ”ビール飲んでよ” と言っても飲んではくれないと思っているので、”レモンサワーみたいなビールだよ” とか “ハイボールっぽいビール” という紹介ができるとビール嫌いでも飲んでくれるんじゃなかなと思っています。”ビールって苦いよね” という既成概念を取っ払って ”甘いビールがあってもよいのでは” と思っています。今までのビールの概念を覆せるものを作っているつもりです。

既存のビール好きの多くは、ホップの苦みをビールの魅力に挙げるだろう。しかし、裏を返せば、ビールが苦手な人は、そのホップの苦みが苦手という理由であることは想像に難くない。そんなビールが苦手な人を潜在的なクラフトビールファンと捉えて、苦くないビールを創作しているとのこと。

「ビールの苦みを抑えて甘みを出す方法としては、大きく2つあります。 1つはビタリングホップを抑える、もしくはホップを使わないで違うハーブを使うという方法。 もう1つは発酵過程で、麦汁に含まれる糖分を残すという方法。糖分を余すことなく発酵させない方法は、酵母の働きを途中で止める方法と、そこまで発酵が進まない酵母を選ぶといった方法が考えられます。」

佐藤氏自身が甘い飲み物が好きとのこと。”元ロックバンドで今は醸造家” という立場から想像される印象とのギャップに驚いた(笑)。

甘いビールにしたいもう1つの理由としては、”分かりやすいビールを作りたいから” ですね。 今はクラフトビールもワインのように様々な香りの表現が生まれていて、本当に全部識別できるか自分でも自信がなくて(笑)。なので自分が作るビールは分かりやすいビール、極力シンプルにしたいんです。 イギリスのエールはよくモルティと言われていますが、飲むときや飲む人、飲んでいるときの体調によって味が変わります。つまりシチュエーション次第で変わるビールの味や風味を正確に語ることって難しいと思うんです。ビールの味も大事ですが、それと同じくらい “仲間と飲む体験そのもの” に価値があります。それゆえに、イギリスのパブにはその体験価値を上げるために、ロックバンドやコメディアンが登壇するわけです。 同じ音楽でも、家で聞くのとライブハウスで聞くのでは、その感じ方が大きく異なります。 私たちはどちらかというと “ライブハウス寄りのビール” を作っているつもりです。つまり、”タップバーに人が集まって一緒に飲むとより美味しく感じてもらえるビール” を意識しています。

“ライブハウス寄りのビール”。その言葉をすぐには理解できなかったが、”ライブハウスで聞く音楽は演奏テクニックよりも、お客さんも含めた箱全体のムードやノリを楽しむもの。そんな臨場感を感じてもらえるビールを提供したい” ということと理解したときに、元ロックバンド経験のある佐藤氏ならではの発想であると感じた。

「定番ビール、Mellow Yellow IPAとは」

Mellow Yellow IPAですね。これをずっと推してますね。Honey Moonもずっと作っています。Mellow Yellow IPAは原材料は普通のHazy IPAと同じ。ホップはシトラとモザイクやカスケードをミックスさせています。同じMellow Yellowでも使うホップは頻繁に変えています。やはりホップを変えると、通なお客さんからは指摘があるくらい、香りが変わりますね。これまで色々材料の配合を変えてみましたが、配合の黄金比率というのは見つかっていないです。むしろ永遠に探し続けるものでしょうね(笑)。Hazy IPAというカテゴリですが、ホップの苦みを抑える工夫を施しています。主に酵母の選び方で対応しています。

Mellow Yellow IPA(左)、Honey Moon(右)を試飲させていただいた。私自身Hazy IPAはホップの苦みがガツンと来て、その後にフルーティな香りが来るものと勝手に思い込んでいたことを反省した。まずフルーティな香りから入って、ホップの苦みは控えめにされている。これが、苦みを抑えて甘みを出すということかと理解した。

Honey Moonは “これがビールなのか?”と感じるほど一般的なビールの特徴とはギャップがある。ホップの苦みはなく、逆にはちみつの甘いフレーバーがとても強い。確かにビールが苦手という人でも、何の違和感もなく飲めるだろう。

「Brewing × AgriTech(アグリテック)」

「うちで今ちょっと面白いことに取り組んでいるんです。それが、”カワサキノコ” のコンテナ栽培です。一言でいうと麦芽粕(糖化後の麦汁の搾りかす)のアップサイクルです。 麦芽粕の原材料は大麦、 小麦がメインになり、 食用可能な物になっています。こちらを全粒粉としてパンやクッキーに加工したり、 飼料にすることは可能ですが、そのためにはおかゆ状の麦芽粕を乾燥させる工程 が必要になります。うちのような小さな醸造所ではその乾燥工程を踏むのは難しいんです。でも、この栄養価を十分に含んだ麦芽粕をみすみす廃棄するのってもったないですよね。SDGs的観点からも何か環境に配慮できないかと考え利用方法を考えてきました。母校である日本大学農学部の教授とも議論して、濡れた状態の麦芽粕をシイタケ菌糸と混合し菌床を作成することによりシイタケ の収穫が可能になると考えました。使用が終わったシイタケ菌床は粉砕されてホップまたはそのほか副原料の肥料になります。ここで収穫したホップ、 副原料は新たなビールの作成に使用されます。 麦芽粕のアップサイクルによりここまで効率的なサーキュラーエコノミーを実現できるなんて最高じゃないですか。」

 



カワサキノコ と聞いて一瞬 ”?” となったが、非常に興味深い取り組みだ。 現在武蔵中原のタップルームの一角で、冷凍ストッカーで実験的にキノコを育てているとのこと。 将来はコンテナ栽培を実現して”都市型農業” の事例にもなるという展望も見据えている。

 

麦芽粕の取り扱いに関しては、多くのブルワリーが強い関心を持っているだろう。産業廃棄物扱いになる麦芽粕。300Lの仕込みで約100KGの麦芽粕が排出されるなど、量も膨大である。その麦芽粕をアップサイクルでき、社会実装できたら日本、いや世界のビール醸造に多大な影響を及ぼすだろう。このBrewing × Agritechのシンボリックな取り組みに引き続き注目していきたい(BEERBOY 編集部)


鍵屋醸造所 CAGHIYA TAP ROOM 
神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目27−11 小泉ビル
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