都内から電車でおよそ3時間。4両編成の電車に揺られ情緒あふれる景色を経てたどり着いた先は潮の香りただよう町、銚子。 銚子市は、日本の千葉県東部に位置する港町だ。太平洋に面した銚子港は日本有数の漁獲量を誇り、鮮度の高い海産物が豊富に揃っている。銚子電鉄というローカル鉄道や犬吠埼灯台が観光名所として有名で美しい海岸線の景色を楽しむことができる。 しかし、そんな銚子市も他の多くの地方都市と同様に過疎化の問題に直面している。人口減少と高齢化が進み、若者の都市部への流出が止まらない状態だ。かつて人口10万人のこの町も今では6万人を割り込んでいる。 そんな銚子の町の活性化に向けて、奮闘している人物がいる。チョウシ・チアーズ株式会社の代表取締役、佐久間快枝氏だ。佐久間氏は5年前に銚子ビールを立ち上げ、急速に事業を拡大させてきた。
今回はこの銚子ビールのアンバサダーでもある株式会社Triveの代表取締役、岡本俊介氏にご紹介いただき、Anniversary Party2024に参加させていただいた。
佐久間氏からチョウシ・チアーズに込めた想いと今後の展望を、ヘッドブルワーの冨丘氏からはビール醸造にかける想いを伺った。
銚子を世界一”チョウシいい”まちに!
銚子駅から送迎のトゥクトゥクで風を感じながらリゾート旅行気分で銚子ビール藤兵衛醸造所へ移動。タップルームに着いた時には、既にAnniversary Partyの参加者で込み合っていた。そんな中で来訪者と笑顔で挨拶を交わす佐久間氏。この1シーンだけで参加者全員が佐久間氏に対して強い親しみを持っていることが伺えた。初見から事業家としてのバイタリティと対峙する相手を惹き込む強いカリスマ性を感じさせる佐久間氏は、銚子の町にある特別な思いを持っていた。
(佐久間氏)長年、東京で会社員として勤めていたのですが、子供を授かったタイミングで生まれ育った銚子の町に戻る機会が増えました。そこで大きな衝撃を受けたんです。私が育った頃の銚子は、人口10万人近くいたのですが、現在では約6万人にまで減少し、40%もの人口が減ってしまっていたのです。特にショックだったのは、かつて賑わっていた商店街がシャッター街となり、活気を失っていたことです。思い出の商店街がこのような状況になっているのを目の当たりにし、寂しさを感じると同時に「銚子のために何かできないか」と強く思うようになりました。ちょうどその頃、東京で手掛けていたプロジェクトの見通しが立ち、他のメンバーにも引継げる状況でもあったので、銚子で新たな挑戦をする決意が固まりました。生まれ育った町への感謝もあり、また実家が飲食業の自営業を営んでいたことから、この町のために事業を立ち上げてみたいと考えました。銚子の町は一時は財政破綻も囁かれる状態でした。町の皆さんが気持ち的に下を向いてしまっているようにも感じたんです。そんな町で小さなブルワリーが小さなチャレンジを積み重ねて、色んなことを成し遂げていく姿を見せられるように、頑張っていきたいですね。 「銚子を世界一”チョウシいい”まちに!」この思いが銚子ビールのスタート地点になったんです。
銚子に限らず、日本の多くの地方都市は過疎化に苦しんでいる。 都心でビジネスを経験し、豊富な知見を蓄積した人材が地方都市の再興のために奮起する。銚子ビールのストーリーは今の日本の社会課題への取り組みとして注目すべき取り組みだ。
原体験。アメリカの町ブルワリーとの出会い
「銚子を世界一“チョウシいい”まちに!」というスローガンのもと、このプロジェクトはスタートラインに立った。そして、そこからどのようにしてクラフトビール事業という発想にたどり着いたのか。その答えは、佐久間氏のアメリカでの原体験に基づく。
約10年前、出張で訪れたアメリカの人口1万人ほどの小さな町での出来事が、今の銚子ビール誕生の原体験になっています。そこで、地元の人々が誇りに感じているブルワリーを紹介されたんです。そのブルワリーは、街の人々の憩いの場であり、地域と外部の人々が交わる場所でした。2ドルで5杯のビールを楽しみ、町の人々と交流し、大人がゆっくりと過ごす空間や子供の遊び場、広くておしゃれなお土産売り場など、多彩な魅力が詰まっていたんです。 さらに、そのブルワリーはアメリカ国内だけでなく海外にもそのブランドが発信されていて、人口1万人の町のブルワリーがグローバルに活躍している姿は当時の私にとって非常に印象的だったんですね。 私が銚子の町に何かを作りたいと考えたときに、このブルワリーの情景が鮮明にフラッシュバックしたんです。ビールって、全世界で親しまれている非常にカジュアルなお酒です。全世界のどの国でも自国でビールを作っているし、どの国に旅行してもビールは飲みます。すなわちビールは国、地域を超えて、人々をつなげる力があると思うんです。またビジネスの観点でもビールという商材はスタートアップに適しているとも考えました。元々ウィスキーやシェリーなどの蒸留酒にも強い興味があったのですが、やはりハイアルコールの世界は初期投資額の規模だったり、必要とされる技術・知見といった観点で参入障壁が非常に高いのです。 一方で、ビールは小さいタンクからスタートでき、小ロットでトライ&エラーを繰り返せるため、スモールスタートが可能なんです。加えて何より魅力的なのは、副原料として地域の特産物を多く活用できたり、商品名も自由な発想から生まれやすく、例えば地域の観光名所の名前を使えるので、その自由度が魅力なんですね。銚子の特産物をふんだんに取り入れたビール作りを通じて、地元の魅力を発信し町と外部の人々が交わるきっかけを提供することができたら嬉しいですね。
ビールに限らずお酒全般が好きな佐久間氏はお子様の名前もお酒に由来するものだとか。 アメリカの小さな町での体験を活かし、銚子で地域をつなげるブルワリーを創り上げることが、佐久間氏の新たな挑戦だ。ビールを通じて、銚子の魅力を再発見し、地域の活性化に貢献していく取り組みは、他の地方都市にとっても好事例になるだろう。
看護士から醸造家へ。銚子ビールの若きブルワー
ブルワリーに欠かせない存在である醸造家(ブルワー)。銚子ビールのブルワー冨丘氏は銚子生まれ、銚子育ちの若き精鋭だ。2021年のInternational Beer Cupで銀賞、2022年、2023年にはWORLD BEER AWARDSでカントリーウィナー、金賞といった数々の賞を受賞してきた凄腕の作り手はその醸造家としてのキャリアを銚子ビールから始めた。
(冨丘氏)もともと看護師としてキャリアをスタートしました。看護師として1年間勤務したときに、銚子にクラフトビールの会社が誕生したことを知り、醸造家の道に進むことを決意したんです。その時銚子ビールではブルワーの求人はなかったのですが、直接佐久間さんに連絡して醸造家として採用してもらったんです。それまでは醸造家としての経験はなかったので、チョウシ・チアーズに入社後、東京のブルワリーで修行を積んで醸造を学びました。 2019年に始まった銚子ビールは当初犬吠埼のブルワリー兼タップルームで比較的小規模にスタートしたんです。藤兵衛醸造所が立ち上がる2023年までは看護師のバイトもしながら二足の草鞋を履いていたのです。藤兵衛醸造所は1,000㍑タンク5基と300㍑タンク3基の計5,900㍑タンクを備える規模になり、醸造量が飛躍的に増えたので、そこでの醸造スタートのタイミングでブルワーに専念することにしました。同時にブルワーチームもメンバーが増えて、より一層充実しました。 2019年にチョウシ・チアーズに参画してから5年が経ちます。「最終的には自分が作りたいビールが作れたら満足」という感覚で醸造を続けてきましたが、いまだに満足のいくビールは出来上がっていないですね。
20代という若さで醸造の世界の飛び込んだ冨丘氏。募集のない醸造家枠を自身の行動力で勝ち得たという。その行動力や意思決定力が、数々の賞の受賞にも帰結しているのだろう。自身も銚子で生まれ育ったルーツを持ち、佐久間氏が描く、チョウシ・チアーズのビジョンに共感しているようにも感じられた。
ゴールから逆算したレシピ設計の妙技
ヘッドブルワーとして5年間経験してきた冨丘氏。レシピによってその工程は大きく変わらないビール醸造において、5年間という期間でブルワーとしての技はどのように磨かれ、その知見はどのように蓄積されていったのだろうか。
(冨丘氏)あくまで個人的な考えですが、醸造にはゴールがないため、「この技術を完全に習得した」といった実感を覚えるのは難しいかもしれません。しかし、後から入ってきたブルワーに醸造の方法や抑えるべきポイントを伝えられるようになったのは、自身のブルワーとしての成長ポイントとも言えるかなと思います。
また細かい部分で成長実感を感じるのは、モルト、ホップ、イーストの組み合わせでどんな味・フレーバーになるかをある程度想像できるようになったことです。基本的には使っているホップは数種類で固定されているので、その中で好みのホップの組み合わせになりがちですが、例えばマッシングの温度だったり、ホップの投入タイミングなど醸造工程の細かな調整で味を整えるスキルが身についたと思います。相性の良いホップの組み合わせや、目指す色とボディ感に近づける術を磨いてきた感じですね。 レシピを作るときって、「こういうビールが飲みたい」というゴールから逆算してレシピを設計しているので、その辺のさじ加減というんですかね、それが良くなっている気がしますね。 例えば、柑橘系のホップがガツンと効いたIPAが飲みたいと思った場合、SRM(色見)は3~4くらいが目標になります。色をつけずにボディを出すには、モルトはピルスナー、ペール、カラメルモルトの組み合わせが適していると考えます。柑橘系のホップについては、カスケードやシトラ、もしくは私の好みではギャラクシーを使います。このようにホップの候補が決まったら、次にイーストの選定です。バイオトランスフォーメーション(*1)を望むか望まないかによって、クリアなビールにするかどうかを決めます。例えば、発酵後の凝集性(*2)が高いUS-05のようなイーストを使うことで、エステル(*3)をあまり出さないクリアなビールを作ることができます。 このようにして、思い描いたビールを作るためのプロセスを具体的に組み立てるスキルが身についてきました感覚があります。まだまだ理想とは程遠いですが、この積み重ねを今後も続けていきたいですね。
*1:バイオトランスフォーメーションとは酵母がビールの原材料中の化合物を代謝して、香りや味に影響を与える新しい化合物に変換するプロセスを指す。これは特に、ホップの香りや味を強化するために用いられることが多い技術である。
*2:凝集性とはイースト細胞が互いに凝集・凝固して沈殿する度合いを表す。凝集性の高いイーストは沈殿が早く、発酵終了時にビールの中に浮遊している細胞が微量なので、透明度の高いビールができる。
*3:エステルとは発酵中に酵母によって生成される有機化合物であり、ビールの香りと風味に重要な役割を果たす。エステルは、アルコールと酸が結合して形成されるもので、フルーティーや花のような香りをビールに与えることが多い。ただし、エステルが過剰に生成されると、望ましくない風味(オフフレーバー)をもたらすこともある。
クラフトビール醸造の醍醐味の一つとして、毎回の仕込みに少しずつ変化をつけ、仕上がりの細かな違いを積み重ねていきながら、理想のビールに近づけていく過程が挙げられる。冨丘氏もまた、5年間にわたる試行錯誤の末、自らの理想とするビールを追求し続けてきた。
「醸造にはゴールがない」と語る冨丘氏にとって、理想のビールの完成という概念は存在しないのかもしれない。しかし、だからこそその探求の過程が醸造家としての醍醐味であり、挑戦であるということだろうか。ビール造りは常に進化し続けるアートのようなものであり、「達成しえない完璧」を追い求めるその姿勢こそが、彼を突き動かす原動力となっていると感じた。
冨丘氏のビール造りの哲学は、単なる製造工程にとどまらず、彼自身の成長と進化の過程でもある。毎回の仕込みで微調整を加え、その結果を分析し、次回の改善点を見つけ出す。こうした不断の努力と情熱が、銚子ビールに独特の深みと個性を与えているのだろう。
定番ビール
日々進化する銚子ビールのラインナップの中には2種類の定番ビールが存在する。White IPAとBlack IPAだ。白と黒、この対照的なIPAを紹介したい。
- 犬吠埼灯台をイメージしたWhite IPA
銚子市の象徴である犬吠埼灯台をモチーフにしたWhite IPAは、ベルジャンイーストとオレンジピールを使ったクラフトビールです。一般的なホワイトエールの要素を持ちながらも、ホップをふんだんに使うことで独自の風味を引き出しています。追加のドライホップによって、イーストが生み出すエステルとシトラホップの柑橘系フレーバーが調和し、トロピカルな味わいが楽しめます。ベルジャンホワイトをベースにしながらも、ガツンと効かせたシトラなどの柑橘系ホップが特徴です。
- オランジェットをイメージしたBlack IPA
Black IPAは、オランジェット(オレンジの皮を使用したチョコレート菓子)をイメージしたクラフトビールです。ホップとモルトの両立を目指し、どちらもその個性を強調し、かつ調和しています。ホップの甘みとモルトのキャラクターが絶妙にバランスし、豊かな風味を提供します。このビールは、Japan Great Beer Awardsで銀賞を受賞しており、対外的にも品質の高さが認められている自信作です。
White IPAは小麦を多く使用した優しい口当たりとホップ、イースト由来のエステルが織りなす複雑の香りが特徴。IPAの苦みが苦手な人でも、ホワイトエールのトロピカルさで飲みやすい一品。 Black IPAはスタウトのような色見で、初見ではモルトの甘みがしっかり出ているように感じるが、その予想は良い意味で裏切られた。モルトの甘みは感じながらも、しっかりホップのキャラクターが主張し、柑橘系のアロマを感じる。ボディは比較的軽いがホップの苦みを感じられる一品。
1000㍑タンク5基、藤兵衛醸造所の挑戦
設備産業と言われるクラフトビール事業だが、醸造量の拡大は事業の成長にとって不可欠な要素だ。チョウシ・チアーズも創業4年目で醸造量をおよそ6倍まで拡張するという重大な経営意思決定を下した。 300㍑×3基という小規模ブルワリーがいかに資金を工面したのか。それはビジネスパーソンとしての佐久間氏の知見、経営者として周囲から愛される人柄、ビジョナリーな信念がかみ合った結果と言えるだろう。
(佐久間氏)藤兵衛醸造所は、300㍑のタンク3基と1000㍑のタンク5基を備え、さらに自動缶詰め機を導入した非常に大規模な設備を誇っています。設備投資には多額の資金がかかっていて、当時の当社の財務状況では自前での設備投資は難しかったのです。そこで、皆様から支援を募る形で、クラウドファンディングの活用を考えました。 結果的に多くの皆様からの応援をいただくことでこの醸造所が実現できたのです。
最初はクラウドファンディングの活用に懐疑的だったのです。そもそもそんな多額の資金を皆様から支援いただけるなんて想像がつかなかったし、微々たる資本金で設立した会社に多額の資本が入ることで、他の人の会社になってしまうのではないかと、つまり自分のやりたい経営から遠ざかってしまう気もしていて…
企業経営にとって資本政策は最新の注意を払うべき事案だ。むやみに外部資本を受け入れることで、経営者の株主比率が極端に下がり、最終的に自分の立ち上げた会社でも、思った経営ができなくなる例は多い。資本を受け入れる際には、企業の実態に即した企業価値の算定を経て、実際の資本金より大きい額の企業価値を設定する必要がある。そうすることで、多額の外部資本を受け入れた場合でも、経営者の株式比率は極端に落ちず、実質経営権を維持することができるという仕組みだ。
(株式投資型ファンディーノサイトのチョウシ・チアーズ募集要項より抜粋)
相談したクラウドファンディングサービスの担当者の方に、当社の経営実態に沿った企業価値を算定していただき、設立時資本金の100倍近くの企業価値額を設定してもらえました。これにより、クラウドファンディングの募集額が仮に集まったとしても、株主比率の低下(≒経営権の希薄化)を回避できることになったのです。これで1つの懸念は払拭されました。
残るは、実際に募集額を達成することができるのか?これが最も大きなハードルだと思っていました。ところがいざ募集開始をすると、なんとたった26時間で2,000万円もの支援をいただけたのです。この時は本当に驚きましたし、皆様から応援いただいているという実感が湧き、強い感謝の気持ちと同時に身の引き締まる思いをしたことを覚えています
こうして藤兵衛醸造所が生まれたんです。支援していただいている皆様からの期待を裏切らないよう、銚子ビールは今後も経営計画以上の成果を出し続け、企業としての成長を止めないように全力で取り組むつもりです。なにより、地域また応援してくださっている皆様と共に成長していける喜びを感じています。
次世代にも残る町の資産になる
藤兵衛醸造所は、「小さな街から世界へ」をスローガンに掲げています。その観点でも、銚子ビールはより成長して、世界へ挑戦しなければならないと思っています。今の時代SNSの発展やデジタル化によって、小さなチャレンジ、それが仮に個人のチャレンジだったとしてもグローバルに大きな影響を及ぼすポテンシャルを秘めていると思うんです。このボーダーレスの時代だからこそ、銚子という小さい町の小規模ブルワリーの取り組みを世界に発信していける実現可能性を感じています。銚子ビールの取り組みを見た次世代の人たちにも、「場所がどこであっても、世界を目指せるんだ」という夢を持ってもらいたいんですよね。
また海外展開の先にIPO(*4)も目指しています。創業当初は300㍑のタンクからスタートし、資本金はわずか100万円でした。しかし、現在では月間5,900㍑までの醸造キャパシティを持ち、またクラフトコーラ事業も立ち上げ、順調に経営計画を上振れる成果を出し続けています。
*4:IPO(Initial Public Offering)とは、企業が一般投資家に株式を公開し、証券取引所に上場することを指す。これにより、企業は広く市場から資金を調達することができる。
「人生は挑戦の連続」そう語る佐久間氏にとって、銚子ビールの挑戦はある意味自然体での取り組みなのだろう。「銚子ビールが海外に挑戦する姿を、他の地方都市や、次世代の人たちのベンチマークとしてもらいたい。」そんな想いが込められているようだ。
IPOに向けて、ビールの海外展開と同時進行で蒸留事業への参入も視野に入れています。私はもともとお酒全般が好きで、ウィスキーやシェリー酒などのハイアルコール飲料にも興味がありました。しかし前述の通り、初めから蒸留事業に参入することが難しく、またビールの魅力も強く感じていたので、先ずはビール事業を選びました。今は規模を拡大させるにあたって、改めて蒸留事業に踏み出したいと考えています。
ウィスキー蒸留所って、世代を超えて地域の資産となるんですよね。私自身蒸留所巡りが好きなんですが、どの蒸留所にも「設立者の想い」と「それを繋ぐ人々の想い」を強烈に感じられる素敵な場所なんですよ。チョウシ・チアーズが設立した蒸留所が地域の大きな資産となり、100年、200年先の次世代にバトンを渡す役目を果たす。そしてその蒸留所がグローバルに認知され、そこで働く人々が絶え間ないチャレンジを楽しむ。そのような状態になることが私の願いです。私が死んでも、想いやブランドは生き続けますからね。
「志(こころざし)」という言葉には、「社会のために私利私欲を捨て、奉仕の精神を持ち、物事を成し遂げようとする決意」という意味が込められている。それは、「自己のため」といった色合いの強い夢や希望という言葉とは区別されている。 取材を通して佐久間氏は終始、自己ではなく他者(町・次世代の人たち)を主語としていた。これは自己のための夢や希望ではなく、銚子の町、他の地方都市、次世代の人たちに与える影響を視野に入れているように感じた。
現在の日本における象徴的な社会課題への取り組みを真摯にかつダイナミックに行うチョウシ・チアーズの今後の取り組みに注目したい。(ビールボーイ編集部)