#14 manu’a beerclub

渋谷駅から徒歩10分。オフィス街や商業エリアに近いながらも、閑静な住宅街が広がる街、神泉。細い路地や坂道が多く、隠れ家的なレストランやバーも点在している。また、昔ながらの建物と新しいマンションが混在しており、レトロな雰囲気も感じられる都心の異世界的な街だ。

そんな街にこだわり抜いた音楽とビールを提供するビアバーがある。「manu’a beerclub」(以下、マヌア)だ。今回はこのmanua beerclubを一人で切り盛りするオーナー磯村氏(通称磯さん)にビール×音楽にかける想いを伺った。

 

都会の中にある自分だけの秘境 〜マヌアのコンセプト〜

先ずはmanu’a beerclubという名前に込めた想いを伺った。

都会の喧騒から一歩離れた、自分だけの「秘境」を見つけたい。そんな思いを抱く人にぴったりの場所をイメージしました。店名の由来は、太平洋に実在する「Manua諸島」。観光地として知られるわけではなく、豊かな自然と静かな環境に包まれたこの島々は、まさに「秘境」と呼ぶにふさわしい場所です。そのイメージを都会の中で再現したのが、ここマヌアなんです。
落ち着いた空間作りにこだわり、訪れる人がリラックスできる「自分だけの秘密の場所」をコンセプトにしています。ここでは、賑やかな場所とは一線を画し、気を許せる居心地の良さを提供したいですね。ワイワイとした活気よりも、静かに過ごし、心を解きほぐせるような場所を求める人に立ち寄ってもらいたいです。

忙しい日常の中で、ひとときの安らぎを感じられる隠れ家のような空間、それがマヌアが提供する価値だ。渋谷という都心から徒歩圏内にそのような場所があることで癒されるビジネスパーソンも多そうだ。

下北沢から渋谷へ ~ 音楽とクラフトビールに魅せられた男 ~

3年前、渋谷にクラフトビール専門店マヌアをオープンした磯さん。その前は下北沢でレコードとサワーを楽しめる小さなバーを営んでいたそう。下北沢での店舗は4年ほど続けていたが、さらにその前は10年間、サラリーマンとして働いていたという。

会社員として働きながら、いつか自分のレコードバーを持ちたいという夢を持っていました。ある日、下北沢でレコードを探している時に、たまたま良い物件を見つけて、思い切って開店することにしたんです。下北沢ならレコード好きの人も多いだろうと思って。

開業当初は、資金もほとんどなかったのですが、駅からも遠い居ぬき物件かつ家賃の安さもあって、物件を見つけたときは即決でした。会社員を続けながらバーを始める計画を綿密に立てていたので、悩まなかったですね。

いわゆる「脱サラ」だ。多くの人が脱サラを決断する際、金銭的なリスクや将来の不安に直面し、躊躇することが少なくない。しかし、磯さんはその瞬間に迷うことなく即決。金銭的な制約があったにもかかわらず、その決断力と行動力は驚くべきものだ。

下北沢で4年ほど続けたのですが、狭い店舗だったのでもう少し広い箱でやりたいと思っていたところ、この渋谷神泉に見つけて移転しました。下北沢ではビールも少し扱っていたんですが、お客さんから「クラフトビールは置いてないの?」と聞かれることがあったので、自分の勉強も兼ねてクラフトビールを飲み始めたら、すっかりハマってしまったんです。

結果、渋谷への移転を機に、レコードとクラフトビールという独自のコンセプトを考えました。レコードバーやクラフトビール専門店は数多くあれど、その両方を本格的に扱う店は珍しいんじゃないかと考えたんですね。

店内には所狭しとレコードが並んでいる。その数およそ4,000枚。高校時代からレコードを集めてきたという磯さんのレコードに対する異常なまでの熱量を感じた。

高校時代、同世代でレコードを集めている人はあまりいなくて、ちょっと変わり者扱いされていましたね(笑)。当たり前ですが、店のすべてのレコードはちゃんと把握していますよ。使わないものもありますが、それもまた愛着があります。

音楽のジャンルはロックやソウルに固定されることなく、幅広い選曲を意識しています。その日の気分で、オープン時に適当に手に取ったレコードを流しています。お客さんとの会話で出たアーティストを流すこともあるし、曲はラフに決めています。でも、曲を変えるときは工夫していて、いきなり曲調をガラッと変えると場がしらけてしまうので、徐々に雰囲気を変えるようにしています。お客さんは気づかないかもしれないけど、僕自身が楽しいのでやっているんです。


音楽とお酒は相性抜群だ。クラフトビールは様々な種類があるので、どんなジャンルの音楽にも合わせられるビールがありそうだ。とはいっても、「スタイルにこだわらず、深く考えずに音楽とビールを楽しんでもらえたら」と磯さんは笑う。

マヌアは、音楽好きやクラフトビール愛好者が集う場所として、日々進化を遂げている。好きな音楽に耳を傾けながら、好みのビールを味わう。そんな特別な体験ができる空間は、まさに磯さんのこだわりと情熱が詰まった「隠れ家」そのものだ。

最大の魅力 ~クラフトビール×レコードのクロスオーバー~

渋谷エリアはビアバーの激戦区だ。マヌア周辺だけでも20店舗ほどのビアバーがひしめき合う。そんな激戦区でマヌアはどのような差別化を図っているのだろうか。

ここはクラフトビアバーであり、レコードバーでもあるため、両方のファンが集まります。ビールに詳しい方もいれば、レコードに興味がある方もいます。しかし、どちらもライトなファンが多いのが特徴です。ビールを楽しみに来るお客さんは、レコードのことはあまり詳しくなく、逆にレコードを目当てに来る方はビールについてあまり知らないことがよくあります。そうした中で、お互いに新たな興味を持つことが多く、ビール目的で来た方がレコードに興味を持ったり、音楽目当てで来た方がクラフトビールに興味を持つ、そんなクロスオーバーが自然と生まれる空間です。「お客さんが来店した際に新たな趣味を発見し、生活がより豊かになること」それがマヌアの大きな提供価値であると思っています。

お店に訪れる方の割合は、ビール目的が6割、音楽目当てが4割ほど。一見客と常連客の割合は4対6くらいです。この近くにはIT関連の会社が多く、仕事帰りに立ち寄るお客様が多い一方、週末は比較的空いていることが多いです。週末になると海外の日本ガイドブックに掲載されていることもあって、観光客のお客様も多くいらっしゃいます。私自身、英語は話せませんが、身振り手振りでコミュニケーションを取りながら対応しています。


ビールと音楽の親和性が高いことは、言わずと知れた事実だが、意外にもその両方を趣味として楽しんでいる方は少ないようだ。「マヌア」への来店がきっかけとなり、これまで興味を持たなかった領域にも足を踏み入れることで、その人の趣味の幅が広がることがある。新たな興味や楽しみを見つけることは、日常に彩りを与え、人生をより豊かにする重要な意味を持つ。

当店では、クラフトビールやレコードに「少し」興味があるというライトなファンの方に、ぜひ足を運んでいただきたいと考えています。新しい発見をして、もっと好きになってもらえるととても嬉しいです。小さなお店なので、気になることがあれば、どんどん質問してもらって、コミュニケーションを取れる環境も整えています。お客様とのコミュニケーションを大切にしながら、気軽に楽しんでいただける場にしたいですね。

私自身、クラフトビールバーやレコードバーに行く際、「専門的で入りづらいな」と感じたことがあります。専門店には、マニアの方が熱心に語っているという印象があり、それが敷居の高さに繋がっているように思います。そうした印象を払拭し、「気軽に入れる店」を目指しています。私たちの世代の若者が、もっとライトに楽しんでいただける、そんなお店にしていきたいと思っています。

一部の熱烈なマニアが集まるような場所では、専門知識の少ない人にとって入りづらい雰囲気があるだろう。しかし、そんな初めての訪問者でも、磯さんとの会話を通じて少しずつ知識が深まっていき、やがてその趣味にのめり込むようになる。このような自然な流れが生まれ、気づけば初心者もその世界に引き込まれているのだ。

専門的な分野においても、こうした親しみやすい対話が、新たなファンを生み出すきっかけとなるのかもしれない。 

小旅行を味わえるラインナップ

レコード×ビールが「マヌア」の差別化ポイントであることは上述の通りだが、ビールに対しての磯さんのこだわりを伺った。

「美味しさ」はもちろんのこと、「面白さ」を兼ね備えたクラフトビールを提供することを心がけています。毎回、新しいビールを楽しんでもらいたいという思いから、定番の銘柄は置かず、常に異なるビールを仕入れています。ただし、IPAなどの味を外せない定番スタイルについては、3〜4回同じ銘柄を仕入れたこともあります。渋谷はビアバーが多く、都内でも特に競争が激しいエリアです。渋谷周辺には約20店舗ものビアバーがあり、差別化が必要です。できるだけ仕入れるビールが他店と被らないように、全国各地のブルワリーから仕入れるようにしています。毎回、違う音楽とビールを楽しんでほしいという気持ちも込めているので、国内のブルワリーも仕入先の国も限定せず、まるで小旅行に出かけたような気分を味わってもらえるようにしています。個人的にはIPAやWest Coast IPAが好きで、これらのスタイルに関しては特定のブルワリーから仕入れることもありますが、お客様に自分の好みを押し付けるのは避け幅広いスタイルを取り揃えるように努めています。


4,000枚に及ぶ多様なレコードと、さまざまな国やブルワリーのビールを楽しめるこの場所は、まさに異国への小旅行気分を味わえるスポットだ。渋谷という大都会の喧騒を忘れさせる、静かな隠れ家のような環境が広がっている。お店は小さなビルの2階にあり、その視認性の低さもまた、この「小旅行」感を一層引き立てている。まるで日常から少し離れた特別な時間を提供してくれる、そんな空間。

 

日々の挑戦・今後の挑戦

下北沢のお店から数えて7年間、磯さんは基本的に一人でお店を切り盛りしてきた。イベント時には一時的に手伝ってもらうこともあったが、ほとんどの時間を一人で店を回し続けてきたという。一人での運営には当然苦労も伴ってきたが、その中で独自のスタイルを確立してきた磯さんの姿勢が感じられる。

料理は簡単なものを提供しています。サラリーマン時代に人と一緒に仕事をすることの難しさを感じ、一人でやる方が気楽なので、ずっと一人でやってきました。ビールの受け渡しはカウンターで行うなど、効率良いオペレーションを設計しています。

一人で運営する中で最も手間がかかるのは、ビールとフードに加えて、レコードをかける作業です。毎時間レコードをかけながら、3枚先のラインナップまで考えてます。1日で約50枚のレコードを入れ替えていますが、それが一番大変ですね。

一人で開店する際にも資金がなかったので、ビールサーバーは部品だけ購入して自作しました。新品の冷蔵庫を2つ組み合わせ、タップを繋いでビールサーバーにしまたんです。これでサーバーだけでも100万円程度節約できたんです(笑)。


チームでの仕事は、時に多大なストレスの原因となることがある。一方、一人で仕事をこなすことで業務量は増えるものの、人間関係に起因するストレスから解放され、健康的な精神状態で業務に集中できる。磯さんにとって、一人で忙しく店を切り盛りすることは、そのまま自身の喜びに繋がっているように感じられた。

また今後はビール醸造にも携わってみたいと語る。

将来的には自分でもビールを作ってみたいと考えています。これまでにブルワリーさんとコラボでビールを造った経験はありますが、今後は醸造家の方々と一緒にイベントを開催したり、作り手にフォーカスしたイベントを企画してみたいと思っています。

興味を持ったものにはとことん追求する性格なので、クラフトビールについてさらに深く知りたいという思いが強まっています。そして、最終的には自分自身でビールを造ってみたいという夢も抱いています。

磯さんのビールに対する強い熱意が伝わってくる。仕事柄、多くの醸造家と既に深い接点を持っているため、近い将来「醸造家 磯村氏」の誕生が現実となる可能性は十分にあるだろう。

変わり続けるクラフトビールの潮流と新たなチャレンジへの期待

ビールの売り手として、今のクラフトビールブームに対して感じる課題を伺った。

自分もビール歴はまだ浅いですが、最近は流行りのスタイルが定期的に変わってきていると感じます。最初はIPAやHazy IPA、そしてスムージースタイルが人気を集めてきましたが、次に火がつくスタイルが出てこないと、今のブームが落ち着いてしまうのではないかと心配しています。新たなスタイルが次々と登場することは難しいですが、非常に重要だと考えています。

業界は常に動き続けることが大切です。この業界に厳しいことを言う人の中には、自ら動いていない人が多い印象があります。そのため、常に新しいチャレンジを続けているブルワリーのビールを積極的に仕入れて応援したいと思っています。

また、現在クラフトビールの価格がとにかく高いと感じています。特に、ビールをフレッシュな状態で海外から輸入するために空輸を利用すると、その分コストがかさみます。今後円安の影響もありさらに価格が上がってしまうのではないかと懸念しています。


クラフトビールには100種類以上のスタイルが存在する。しかし、その中でも人気を集めるスタイルは限定的である。この現状から考えると、クラフトビールのブームを維持するためには、これまでとは全く異なるスタイルのビールを生み出し続ける必要があるだろう。あるいは、既存のスタイルにアレンジを加え、さらなる進化を遂げることも一つの手段である。今、クラフトビールはブームを維持するための大きな岐路に立たされている。

そんな中、レコードとビールの融合でクラフトビールをさらに盛り上げていく「マヌア」に今後も注目していきたい。(ビールボーイ編集部)


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