皇室の別荘となる葉山御用邸でも知られる、神奈川県葉山町。
一説には鐙摺(あぶずり)海岸が日本のヨットレース発祥の地であり、マリンスポーツ施設として有名な葉山マリーナの他、森戸、一色、長者ヶ崎の海岸は首都圏有数の海水浴場としてにぎわう場所だ。そんな葉山町にてクラフトビール醸造に従事するブルワーがいる。Brewstars Yacht Club(以下B.Y.C)の代表取締役 菊池氏だ。コロナ禍が猛威を振るう2年前に経営していた貿易商社を引退し、ゼロから醸造知識を学び、ゼロから設備を手配し、今でもなお日々レシピをアップデートし続ける菊池氏のクラフトビールにかける想いを伺った。
「B.Y.Cからチャレンジャーを続々と」
Brewstars Yacht Clubの名前の由来は2つある。1つは、葉山のランドマークであるヨットクラブのように人が集まり、コミュニティを形成する場所であること。2つ目はB.Y.Cから多くのチャレンジャーが自分のキャリアという船のキャプテンとして出港する場所であることだ。
「ビール醸造って、まず初めに設備投資から始まるんです。その時点で少なくない投資が発生していて、加えてビール醸造自体は経費もかかることから利益率の高いビジネスとは言えない。だから個人で始めようとするブルワーさん達は相応の覚悟を持って、ビール醸造に対する高い情熱をもって始めている人が多いんです。クラフトビールは、単なる飲み物ではなく、クラフトビールファン、地域、仲間、同業者との繋がりが魅力的だと思います。そういった世界に魅力を感じた人たちがB.Y.Cでもチャレンジしてもらい、醸造に興味を持ってもらえるとクラフトビール業界の活性化の一助になるんだと思うんです。この数年でブルワリーが一気に増えていますが、いかに各場所で根付いて地域に支持されるかが、今後の業界の課題だと思っていますね。
1つ目のロゴはクラブフラッグ。「海もヨットも無いヨットクラブ」という意味。町のコミュニティーの港として、チャレンジャー達が自分のキャリアという船のキャプテンとして出港する場所の意味でのヨットクラブを意味している。
2つ目のロゴはキャラクターロゴ。主に葉山から出てイベントに参加する時に使っている。自分の目的地を探して航海する冒険家のロゴ。
キャッチフレーズは、It’s never too late to start something!
「地域のコミュニティの場になる、とは」
「前職である商社業務はB to Bビジネスです。自分がやっている仕事は役に立っているはずなんだけど、もやもやした経験もあって。50歳を機に何か違うことを起業したいと思いました。実はその時点ではブルワリーというのは考えてなかったんです(笑)。いろんな人に会ったりとか、セミナーに参加してみたり自分がやりたいことを模索した時期を経て、やっぱり”ものづくり”だよねと思ったんです。中小企業の専門商社の仕事は自身の製品を持たずモノを企業間で流通させる仕事でしたが、自ら価値を創出している感覚が持てないこともありました。反面、オリジナルの製品を持つことは価値を創出している点で強いですよね。それをやりたいと思った時にクラフトビールが頭に浮かびました。もともとドイツに出張でよく行きましたが、どの町にもパブがあって。ビール好きな人が集まる場所なんですね。そこで町のコミュニティを形成していることに感動したんです。よくある”異業種交流会”みたいなコミュニティじゃなくて、ビールという共通言語のみで形成されているコミュニティが作れたら面白いだろうなと思いました。 当店の1階醸造所の直売窓口では、散歩やランニングの後にビールをテイクアウトしてデッキのベンチで飲まれるお客様が多いですが、町内で顔見知りでも話したことの無かった方々が、ビールがキッカケに団欒の場となって、自然とコミュニティが出来ている光景は嬉しいですね。
ビールで町にコミュニティが形成される。それは今の日本ではなじみのない情景であろう。少しずつ増えてはいるものの、そのコミュニティの源泉となるクラフトビールの醸造に高い熱量を感じた。”日本のクラフトビール文化はまだ過渡期であり、この挑戦が地域の活性化につながることを立証したい”と菊池氏は語る。
”地域の活性化”には、人が集い、地域の産業へも波及していく必要があります。それには、地元で醸造するクラフトビールが一つのキッカケになれると思っています。僕が思うのは、クラフトビールって美味しいのは前提でそれに”プラス付加価値”がないと多分その値段に見合う価値を感じてもらえないと思うんです。例えばビールづくりの進化(成長や発展)への取り組みや、次に何かを仕掛ける挑戦って、それを見る人はワクワクすると思うんです。その”ワクワク感”が上述の”プラスの付加価値”として重要だと思うんです。そして地域の他店舗や企業とのコラボレーションが生まれそのような”ワクワク感”を共有して、地域一体となってで継続的な集客を実現することが、”地域の活性化”に繋がると思うんですね。」
“地域の活性化”はある種のバズワードになっている。それ自体は素晴らしい考え方だが、中身の伴わないメッセージングは、それを受ける人を白けさせることにもなりかねない。そうではない、本当の意味での”地域の活性化”を目指すとのこと。
「三浦半島では、県や市町村、商工会、京急電鉄、信用金庫などが集客の一つとしてブルワリー巡りやビールイベントも企画されたりと積極的で、我々三浦半島ブルワリー会も連携しています。現在三浦半島ブルワリー会は、横須賀ビール(横須賀)、鎌倉ビール(鎌倉)、当店Brewstars Y.C(葉山)、Grand Line(横須賀)、法龍山麦酒(久里浜)、15ブルワリー(葉山)、三浦ブルワリー(三崎)、White Dog Brewing(浦賀)、Miura Peninsula Beer (長井)と定期会合して今後の半島ビアフェスなど企画していますね。」
同エリアのブルワリーは、B.Y.Cからすると競合にもなりかねない。だが、クラフトビールファンを増やす、という共通ゴールの元、互いに強い協業関係を組めている点もブルワリー業界の特徴と言えるだろう。
「中古設備で醸造スタート」
「私たちの設備は大部分が中古品です。Anglo Japanese Brewing(以下、AJB)さんの設備を譲り受けました。長野県の野沢温泉にあるAJBさんから、なぜ設備を譲り受けられたかというと、醸造始める前から僕がAJBさんのビールが飲みやすくて好きだったのですが、醸造ビジネスを考え始めたときに、思い切ってAJBさんに見学を依頼したんです。AJBさんはオーナーがイギリス人の方でとてもオープンな方だったので”見に来るならお好きにどうぞ”といった具合に快諾してくれたんです。工場見学不可のブルワリーも多そうですが、外国人のオーナーさんのオープンさに驚きましたね(笑)。ちょうど、AJBさんは横浜馬車道に醸造所出店を考えていて、古い設備は売って新しい設備投資を考えていたようで、譲り受けの話がまとまりました。タイミングが良かったですね。僕自身、醸造を開始するタイミングであわよくばAJBさんに色々教われたら良いと思っていたので、ちょうどwin-winでした(笑)」
企業秘密になりうる設備情報やレシピをも気軽に開示してくれるオープン性・協業の精神がこの業界の魅力の一つ。と同時に”縁”を大切にする菊池氏のフットワークの軽さもこの商談に結び付く必要不可欠な要素になっているのだろう。
「地域のエコシステムを構築する」
地元の産物を有効活用することで、地域の経済循環にも一役買っているB.Y.C。その試みは突発的なものではなく、サステナブルに機能している。
「地元のお客さんから得たアイデアを元に、新しいレシピを作っています。地元のフルーツやコーヒー店の豆を使ったり、地域に根ざした活動になっていることが重要だと思っています。それは言い換えると地域経済のエコシステムの構築につながるものですね。例えば、近くに地元で有名なパン屋さん”earth7716factory”というお店がありますが、そこで試作のパンや発酵不良で売り物としては不完全なものを引き取ってビールの原料として使うこともあります。多くのブルワリーでもやっていますが、これをアップサイクルビールと呼んでいます。”earth7716factory”さんは天然酵母を使ったドイツやヨーロッパスタイルのパンを作っており、甘みが強くなく、再利用しやすいパンを作っています。この取り組みで”earth7716factory”の食品ロスの軽減や気兼ねない積極的な商品開発も期待できるし、アップサイクルビールの売上はパン屋さんに一部還元したりと、お互いを補填しあいながらエコシステムを作っています。B.Y.Cも、”earth7716factory”さんのブランドをお借りしてビールを売れるので、win-winの関係ができていますね。」
パンとビールは酵母を使用している発酵食品ということは周知の事実だが、これほどまでに他企業との協業関係を構築できるのは、経済的なメリットだけではなく、お互いの地域への貢献意識に基づくものであると考えられる。
「明確な基準の元で、客観的な評価を受ける必要性」
「クラフトビールって基本的に美味しいですよね。でもその”美味しい”って、それは人それぞれじゃないですか。美味しいかどうかなんていうのはあくまで好みの問題で、とてもあいまいな表現と感じています。 そういった想いからB.Y.Cは地ビール協会が主催するJapan Great Beer AwardsやInternational Beer Cupなどのコンテストで賞を取りました。賞を取る為に醸造をするのが目的ではないですが、知名度や経験値が浅い新参者なので、ちゃんとビールのガイドラインにのっとりつくれているんですよ、という客観的な技術的ファクトも今は重要だと考えています。資格を持つ審査員が同じモノサシで評価されたという事実があれば、傍から見ると”B.Y.Cってしっかりクラフトビールに向き合っている”って思ってくれますよね。設備の良しあしや醸造量の大小とは関係なく、うちは中古の設備で狭いところで作ってるけどそれでも、ちゃんとしたクラフトビールを作れますよ、ということを証明していきたい。やっぱり無冠のブルワリーではエンターテイメントとして広げていくには弱いかなと個人的には思ってます。
美味しい / 美味しくないといった個人の感想の枠を超えて、客観的な基準に基づいた評価を受けることは、クラフトビールのブランド力を高める有効な方法である。また設備の良しあしではなくブルワーのこだわりと創造性が醸造の大きな要素になることを証明したい、という菊池氏の熱意を感じるコメントだ。
既に、開業初年度からJapan Great Beer Awards 2023では、コーヒースタウトで金賞、他フルーツビールで銅賞、International Beer Cup 2023では、オクトーバーフェストには欠かせないドイツビールカテゴリー メルツェンで銀賞受賞、Japan Great Beer Award 2024では、ベルジャンヴィットで銀賞、その他フルーツビール、エマージングIPAで銅賞という実績も有する。
「定番メニュー “ジャイブクラッシュ”とは!?」
醸造開始時にAJBのサポートを受け、今の定番メニューDDH Hazy IPAが完成したとのこと。
Gybe Crash Hazy(ジャイブクラッシュヘイジー)というダブルドライホップIPAで、設備稼働開始時にAJBに手伝ってもらって、出来上がったものです。いわゆるDIPA(ダブルIPA)とは異なり複数のホップをドライホップ(発酵中後期に直接ホップを投入)していて、よりフレッシュなホップの香りづけが実現できるんです。当初よりレシピ自体は変えてきませんでしたが、例えばもうちょっとボディがあった方がいいなといったときはマッシングの温度を高めにしたり、細かいチューニングはずっと続けていますね。直近のバッチではホップを変えてみたんです。今までの三種類は定番のシトラとシムコーとモザイクの王道をミックスして使ってたんですけど、直近はシトラとモトゥエカとアイダホ#7という品種のミックスに変えてみたんです。もともとその3種類はシングルで使っていて、いずれも気に入っていたので、それを混ぜたらどうなるのかなっていうのを試してみたんですね。
Gybe Crash Hazyを試飲させていただいたが、ホップの苦みと香りが共に非常に強く、それでいて互いを干渉せず非常にドリンカブルだった。料理に合わせるでもよし、単体で味わうでもよし、シーンを選ばずにいつでも楽しめるアイテムだ。余談だが菊池氏は苦いものが苦手、お酒も試飲以外にはほとんど飲まないという事実には驚かされた(笑)
ホップを変えるだけで、その香りの変化を楽しめる。そして300Lの小規模タンクがゆえに、クイックに色んなタイプを試作できる。これがマイクロブルワリーの醍醐味の1つになっているようだ。
「子供も楽しめる空間に」
「当店はタップルームですが、クラフトビールだけでなく料理も提供します。うちはビールを飲む大人だけではなくて、子供も楽しんでもらえる空間にしたいと考えているんです。先日は店貸し切りでお客さんのパパ会イベントがあったのですが、そこには子供もたくさん参加してもらって、子供が描いた絵をラベルにして瓶に張ってお渡ししたり、プロジェクターで映画を映して楽しい時間を過ごしてもらいました。平日にお客さんが少ない場合は、子供が来たら映画のドラえもんを上映して、ちょっとした映画館みたいになってますよ(笑)。」
大人だけが楽しめる場所は地域のコミュニティと呼べるのか。本当の”地域のコミュニティ”を形成されようとする菊池氏の想いが感じられた。休日に子供を見ながらお酒を飲みたい休日のパパママにとっても、癒しの場となりそうだ。
「クラフトビールブームを一過性のものにしないために」
「クラフトビール醸造はブルワーの夢や情熱だけでは長く続けていくことは難しい。ビジネスとして利益を出し続けていくことが至上命題です。特に郊外で地域住民が主な顧客になる場合、クラフトビールってどうしても価格帯がネックになってしまうと思うんです。決して安くないクラフトビールを飲み続けてもらうには美味しいことに加えて付加価値がないと、リピート率が下がってしまい一部の人しか飲めなくなってしまいます。 葉山にはクラフトビールを飲んだことがない人たちがまだ多いので、その人たちに広めるためには、気軽にクラフトビールを体験できる価格帯を維持しなければなりません。利益を出しながらリピートしてもらう価格帯を維持する、それが大きな課題だと思っています。地域にはまだまだ潜在顧客層が多くいます。実際従来のビールが苦手だったけど、クラフトビールなら飲めるという女性客も多いです。そういう人たちによりB.Y.Cのビールを広めるためには、地域で情報発信を続けて、”なんか面白いことやってるぞ”といったワクワク感を醸成して、ローカルでクラフトビール人口を増やすことが必要です。また一度来ていただいたお客さんにも空間の居心地やスタッフとの会話の楽しさを感じてもらえたなら、価格以上の価値でもう一度来たい、と思ってもらえると思うんです。そんな体験を提供し続ける、それこそが今のクラフトビールブームの持続性を高める方法だと思います。
“クラフトビールって確かに美味しいけどちょっと高いよね。”これがユーザーの本音だろう。すごく美味しいがパイント1杯1,000円以上するビールを何杯も飲むのは、よっぽどお金に余裕がある人か、一部のクラフトビールマニア以外にはややハードルが高いだろう。
今はクラフトビールブームに乗じて一時的にクラフトビール人口は増えているが、これを持続させるためには、クラフトビールを飲む体験自体をアップグレードすること、それともう少し手の届きやすい価格帯で提供できる環境を整えることの2点が重要であると考える。今後のBrewstars Yacht Clubの取り組みには引き続き注目していきたい。(BEERBOY 編集部)
Brewstars Yacht Club
神奈川県葉山町堀内2038−10