#3 小田原ガレージブリューイング

神奈川西部の観光名所、小田原。

戦国時代には後北条氏の城下町として栄え、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里である。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として盛えた。現在でも箱根と隣接していることもあり、平日もインバウンド客で賑わう場所だ。今回は大学時代を小田原で過ごし、一見アパレル関係者かと見まがうほどのファッションセンスでTAPルームを異空間に演出しているブルワーに話を伺った。小田原Garage Brewing の武藤氏だ。一時は会社員から鰻職人を目指し、その後ブルワーになるという武藤氏の数奇なストーリーを紹介したい。


「多様な形でクラフトビールと関わり続ける」

「このブルワリーは2023年5月に立ち上げました。元々は広告会社の営業マンだったのですが、人のふんどしで相撲を取っている感覚が拭えなくて、何か手に職を持ちたいと漠然と考えていたんですね。そんなときに飲食業関連の仕事をしたことがきっかけで飲食に興味を持ち始めました。 ちょっと脱線しますが、実は最初は鰻職人になろうと思っていたんです。縁あって鰻の職人協会の会長さんと仲良くなって、従来のうな丼から進化させアレンジを加えたメニューでインバウンド客に楽しんでもらうという想いを話したら会長さんから“面白いね”って誘ってもらって。38歳で鰻屋に入ったんですが、初日でクビになりました(笑)。考え方は人それぞれということですね。 本題に戻ります。その後は前職の仕事を手伝いながら自分で始める事業を模索しました。元々ビールが好きだったし、何かビールと関わる仕事をしたいと思っていて、当時はIPAすら知らない人が多い中で、まずはクラフトビールを取り扱うバーをやろうと決めました。醸造は無理でも売ることはできると思ったんですね。で、2017年に横浜でバーを始めました。でも、結局クラフトビールに特化しないと、クラフトビールは売れないと痛感したんです。ビール市場の1.5%という超ニッチなクラフトビールを中々飲んでくれない。結果、普通の居酒屋にちょっと毛が生えたバーみたいな感じになっちゃいました。そんな時にコロナが流行したんです。うちは補助金支給の対象になって、店を続けることもできたのですが、元々クラフトビール特化の必要性を感じていたため、このタイミングで自分で作っちゃおうという発想に至りました。」

メニューにクラフトビールが含まれていても、当時はクラフトビールの認知率が低かったために選ばれることが少なかった、とのこと。昨今のクラフトビールブームのタイミングだったら、結果は変わっていたのかもしれない。

当時の僕は醸造知識もなかったので、沼津クラフトさんは現場にしょっちゅう遊びに行って見せてもらいました。他にもYggdrasil Brewing(以下、イグドラジル)さんが作っているのを見せてもらったり。職人の世界なので、そういうのダメというブルワーさんもいる中で、僕はたまたまいい人に巡り会えたなと思ってます。 特に沼津クラフトさんには本当にお世話になりました。ビールをOEM(Original Equipment Manufacturing)で作ってくれたり、醸造の基礎を細かく丁寧に教えてくれたり、醸造設備の導入の際にも予算が少ないことを考慮してくれて、商社を介さずに中国から直接輸入する段取りしてくれました。うちが今醸造できているのは沼津クラフトさんのおかげなんです。

どの醸造所の教えを受けるのか、が醸造人生の第一歩。師匠ブルワーの思想がそのブルワーの血肉として生き続けるようだ。この取材でも武藤氏は沼津クラフト片岡社長への感謝の言葉を幾度も口にしていた。

小田原という場所を選んだ理由は、ちょっとしたストーリーがありまして。実はバーをやっていた時に、ODM(Original Design Manufacturer)でクラフトビールを作ったことがありました。当時、神奈川県は鳥獣被害の問題を抱えていて、伊勢原に耕作放棄地があったんです。そこの農作物を活用してビールにしたいと思い、色々ブルワーさんを回ったところ、イグドラジルさんからOKと言ってもらって、クラウドファンディングでお金を集めて作ってもらいました。その時の経験から伊勢原とのネットワークもできたので、そこで場所探しを始めたのですが、伊勢原ではよい場所が見つからず…。それで、その沿線を探していたら、小田原で今の場所と巡り合ったのです。学生時代は小田原に通っていた時期もあったので、土地勘もあったので、決めました。コロナ禍でバーを辞めてからおよそ3年後に、小田原ガレージブリューイングを立ち上げるのですが、その間も川崎の鍵屋醸造所さんで働かせてもらっていました。

結局38歳で会社を辞めて小田原ガレージブリューイングを設立するまでの6年間、形を変えながらもずっとクラフトビールと関わってきた武藤氏。クラフトビールへの情熱を感じるエピソードだった。


「クラフトビールならぬクラフトタップルーム」

ぱっと見、アパレルショップかと思うほどの、洗練されたタップルーム。だが、よく見ると壁は鮮やかなティファニーブルーのトタン、その他武藤氏の趣味グッズが多数陳列されているなど手作り感のあるものが多い。タップルームまで“クラフト”していることが面白い。

 

 

実は小田原ではこの場所の他に何軒か当たったんですけど、クラフトビールを作ることのハードルが高く、駄目でした。今の場所は当初は本当にボロボロで(笑)。飲食店をいきなりやるのは無理だと思いました。ガスが通ってなかったり、柱が不安定だったりで、結局ゼロからリノベーションしたんですね。実際今でも雨漏りがあります(笑)。X(旧Twitter)を見たら、”近所にブルワリーができるけど、あの建物は持つのか”と書かれていましたし(笑)。 リノベーションといっても、とにかくお金がなかったので、可能な限り自分でやれるところは対応するしかなかったんです。設計やデザインなどはすべて自分で考えて、知り合いの大工さんに最低限の金額で施工をお願いしたり。壁はトタンで最低限の補修をして。バー時代の冷蔵庫とかその他趣味の雑貨品とか、これらはほぼ僕の私物です(笑)

お金をかけずに内装を施したと思わせない空間演出は武藤氏のセンスの高さに依るもの。このタップルームそのものがエンターテイメントになり、ワクワク感を醸成される。

「“タップルームに行くという体験”に価値がある」

ものすごいスピードで移り変わるクラフトビールのトレンド。そういったトレンド変化にどのように対応しているのか。武藤氏の意図を探った。

「トレンド変化はSNSを見ながら常にキャッチアップしています。ただ、それに乗るかどうかは慎重に考えていますね。飲み手の人たちの流行りは何だ、とか。あとはオピニオンリーダー的なブルワーさんが旗を振り出すと、それに他のブルワーさんも乗っかるといった風潮を感じます。僕は醸造を習っている沼津クラフトさんの影響からか、あまり敏感に動くタイプではないかな。沼津クラフトさんは非常に硬派というか、自身のスタイルを持っていて。そういうスタンスにも惹かれてます。 もちろん、トレンドとか関係なく”世界観がすごいなぁ”と感じるブルワーさんはチェックしています。例えば湘南エリアのブルワリーさんとか。完全に独自路線でもはやファッションアイコンぐらいになってる感じです。そこは独自の世界観を創って一方的に発信しているだけじゃなく、しっかりとお客さんに認知されて、受け入れられている点がすごい。うちも世界観にこだわってますが、まだまだ認知を上げていかないと。これは僕の妄想ですが、そのブルワリーのお客さんってタップルームに行くという行為自体がもうオシャレだという風に思ってるのではないか。”そのブルワリーの常連”ということがある種のステータスになっているのかなと。」

“タップルームでビールを飲むという体験”ではなく、”タップルームに行くという体験”そのものに価値を感じさせる。そう語る武藤氏の小田原ガレージブリューイングも相当の世界観を醸している。だが、それを認知させなければ意味がないという。単純に美味しいビールを作り、世界観を醸成するだけでは足りず、ある種マーケティングにおける卓越さも求められるということだろう。

「飲食店への啓もう活動とは」

クラフトビール業界が抱える課題としては、一にも二にも“クラフトビールの認知率・理解度の低さ”が挙げられるようだ。

「クラフトビールがニッチな飲み物であることは周知の事実ですが、対お客さんというよりは対飲食店の認知や理解に課題を感じています。飲食店にクラフトビールを浸透させるには製造原価を抑えて、飲食店に安価で卸すという方法が先ず考えられます。が、実はもう少し大きな問題も抱えているようです。それがクラフトビールは常温流通・常温保管が難しいという点です。クラフトビールは生ものなので、冷蔵保管が一般的なんです。すると飲食店は食材のための冷蔵スペースを奪うことになるので、すごい嫌がられるんですよ。それに要冷蔵配送なので、そもそもの配送費も上がってしまうし…。 実際、大手ブルワーさんはこの問題に取り組み始めていると聞いています。詳しくは分からないですが、温度が上がっても品質の落ちないビールの醸造のようです。熱処理で酵母の働きを抑える、あるいは十分な濾過によってビールの液中に含まれるタンパク質や酵母を完全に取り除く方法だと思いますが、そうすることで、味が安定して常温保存を可能にできるんだと思います。 それに対して僕が感じるのは、本来のクラフトビールの良さを維持したまま常温保存を実現する難しさです。僕は時間の経過とともに起こる味・フレーバーの変化がクラフトビールの良さだと思っているんです。クラフトビールって雑味も思いっきりあるものです。ビールの液中に酵母が残っていてその酵母が時間の経過とともにどんな味・フレーバーの変化を起こすのか、これが楽しいんですよね。樽を開けた後も始めと中間と最後で味が変わるし、ある意味安定感がないんですけど。それを楽しんでくれるお客さんもたくさんいるんですね。うちのビールを飲んで、”開けたてだね”とか、”ちょっと落ち着いた方が好きだよ”っていうお客さんがいて、そんなことを語り合いながら楽しむことが”クラフトビールを楽しむ”ことだと。 常温流通を実現するために酵母も安定させてきっちりさせることによって、多分面白みは減るんだと思うんです。もちろん取り組まれている大手ブルワーさんはその辺も対応されているとは思いますが。」

クラフトビールの楽しみ方を犠牲にして、飲食店への流通を優先させるか。ただし、その場合クラフトビールの本来の楽しみ方を飲食店ユーザーには理解してもらえない…。大きなジレンマだ。クラフトビールを正しく認識している飲食店も増えてきているが、まだまだ味の変化というクラフトビールの特性を飲食店に啓もうしていく必要性がありそうだ。

「定番ビール“NAVIGATOR”、“Sacrifice”とは」

NAVIGATORはIPA、SacrificeはDDH DIPAです。僕がアメリカのIPAに触発されてビール作りに繋がっているので、ある種の原点ですね。とはいえ、まだ初めてまだ1年なので、自信を持って、定番と言えるほどの状態ではないですね。まだまだ改善していきたいと思っています。



右がNAVIGATOR、左がSacrifice。このタップルームで飲むという体験自体にワクワク感があった。 特別な原料は使わず、スタンダードなアイテムと謙遜する武藤氏。丁寧に醸造された2つのビールはクリアな味わいの中に、ホップの苦みが効いていてSacrificeにおいてはABV8.5%を感じさせない飲みやすさだ。

「“地ビール”を作りたい」

小田原Garage Brewingのビールの特徴は、クラフトビールというより地ビールであると語る武藤氏。その真意とは。

うちの特徴って何?ってこの1年悩んできたんですけど、結論、”小田原の農産物を使ったもの” が小田原ガレージブリューイングの作るビールの特徴にしたいと思っています。なので柑橘系とか小田原の地のものを使ったビールに振っています。地産地消ですかね、それが一つのテーマになってます。ブルワーさんの中には地ビールって呼ばれるの嫌がる人もいますが、僕はあえて”地ビール”を作りたいですね。 これまでも地元の農産物でビール醸造にトライしてきました。この間は地元のはっさくで作ったんです。ここに飲みに来たおじちゃんが農家の方で、その時ちょうど青みかんのビールを出したら ”みかんでビールになるか?”って聞かれたんで、なりますよって。そうしたら”じゃあうちのはっさくも使うか?この間、風で全部落ちちゃったんだ。出荷できないから、使ってくれるなら持ってくるよ” と言ってくれたんで、実際にそれでビール作ったら、農家のおじちゃんすごい喜んでくれて、みんなに宣伝してくれて、たくさん飲んでくれました。ちなみに2回目の醸造は失敗しちゃったんです。おじちゃんすみません(汗)。 他には近くにレモンの木があって、そこのおばあちゃんが自分では取れなくて、あげるから取ってくれって。そしたら、そのおばあちゃんの知り合いで夏みかんが余ってるからもらってくれと(笑)。連鎖的にそういう話をすごくもらったりするので、小田原でもっとたくさん活かせる農産物があると思ってます。このような取り組みを重ねていって”小田原の地ビール”と言われるくらい、地域と密接にかかわっていきたいと思ってます。

タップルームの何気ない会話から、即決で新しい商品が誕生する。それこそ地域に根差したマイクロブルワリーの醍醐味であり、また地元とのつながりと強固なものにする欠かせない要素なのであろう。もちろん、ブルワリー毎に考え方はそれぞれだが、地域のブルワリーが地域経済の活性化の一助となるために、このような取り組みや思想は大きな意味を持つと考える。今後の小田原ガレージブリューイングと地域との連携に注目していきたい。(BEERBOY 編集部)


小田原ガレージブリューング

住所:神奈川県小田原市栄町3-5-19

アクセス:JR/小田急・小田原駅から7分

ホームページ|Instagram

 

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