1歩足を踏み入れると、そこはディープな世界。店内にはヘヴィメタル(以下、ヘビメタ)の音楽とアグレッシブな内装で心を躍らす空間が広がっている。 神奈川県平塚駅から徒歩7分。落ち着いた閑静な街並みに突如現れる異空間、ブルーパブYggdrasil Brewing(以下、イグドラジル)だ。
20代でフランスから来日して20年超。台湾出身の奥様、5人のお子様という大家族の大黒柱としてイグドラジルを切り盛りするフランス人のダビド氏。地元サッカーチームのベルマーレ平塚の熱狂的なファンでもあり、フランス×台湾×日本(平塚)×ヘビメタ×サッカーと異彩を放つイグドラジルのダビド氏に今のクラフトビール業界への想いを伺った。
「故郷と重なる町 ”平塚” で異色のブルーパブを」
日本でソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタートさせたものの、持ち前のチャレンジ精神が満たされず、ヘビメタバンドという大きすぎるキャリアチェンジを図ったとのこと。
「20代前半で日本に来た時はソフトウェアエンジニアをしていたけど、チャレンジしてる感覚がなくて、シンプルにつまらなくなってしまった。そこで思い切って、趣味だった音楽の世界に飛び込こんだんだ。ヘビメタバンドの一員として、また音楽イベントプロモーターとしてもどっぷり活動していて、その関連でクラフトビールのイベントにもたくさん参加したよ。ヘビメタとクラフトビールは最高のペアリングだからね。その中で、多くのブルワリーとのつながりができたんだ。当時、ブルワリーは約400社くらいだったけど、その半分くらいのブルワリーさんとは今でもつながっていると思う。 ヘビメタは大好きだし、今も深く関わっていたいけど、ビジネスとして活動するには限界もあったんだ。家族をしっかり養っていくことも考えて、ブリューイングという発想に至ったんだ。10代からビールは飲んでいたし、元々好きだったこともあって、ブリューイングのプロジェクトは10年前から考えていたからね。実際にブリューイングを開始したのは6年前だけど、その間はヘビメタをやりながら、醸造の勉強をしてたんだ。」
10代からビールを飲んでいたということでやや驚いたが、フランスでは16歳からビール飲酒が合法なので、問題はない。余談だが、イギリスでは家の中で親が許可した場合はなんと5歳から飲酒可能とのこと。
モン・サン=ミッシェルから車で1時間くらいの町ブルターニュ出身のダビド氏。平塚と故郷ブルターニュは雰囲気が重なるようだ。
「湘南エリアで醸造を学んだこともあって、海の近い湘南エリアでのブルワリー設立を考えていたんだ。葉山から箱根まで海沿いをずっと探した結果、平塚という町は選んだのは僕の故郷ブルターニュと雰囲気が似ていたためだよ。近くにビーチや漁港があって、レジャーとしての釣りが盛んだし、工場もあってそこで働く人の笑い声が聞こえてくる、 農家コミュニティも盛んで物々交換のカルチャーもあって、ブルターニュと似た匂いを感じたね。都会過ぎず、子供を育てるのにも最適で、今では平塚という町が本当に大好きなんだ。」
店内にはところ狭しと、過激で刺激的なラベルデザインがちりばめられていた。このワクワクするラベルの多くは台湾出身の奥様がデザインされているとのこと。
あたかもライブハウスかのようなアグレッシブな店を構え、クールな長髪をたなびかせるダビド氏。ヘビメタを体現した見た目の内面は、家族や地域を愛するダビド氏のスピリットで満たされているのだ。
「ブルーパブはスピリットをお客さんに伝える場」
連日ファンで込み合うイグドラジル。今後さらなる店舗出店は考えていないと言う。そこにはダビド氏のイグドラジルにおいて大切にしている意思が込められていた。
「ブルーパブのお客さんの約半分はブルワーに会いに来ていると思う。ブルワーとのコミュニケーションで、ブルワーのスピリットを感じながら楽しみたいお客さんが多いんじゃないかな。店舗が複数あると、僕がカウンターに立っていない店ではお客さんとコミュニケーション取れないよね。それはブルーパブにとって好ましい状態ではないと思ってる。イグドラジルのスピリットをうまくお客さんに伝えられないという状況は避けたいんだ。 といっても、特別なテーマを真剣に話すというものでもないけどね(笑)。普段は、大好きなサッカー、ヘビメタ、平塚の地元ネタ、ビールの話などで盛り上がってるよ。また僕がフランス人だから、海外からのお客さんもたくさん来るね。この辺に住んでいる外国人は日本語も堪能なので、他の日本人の常連さんとのコミュニケーションにも問題ないかな。」
ダビド氏自身は、フランス語、ドイツ語、スペイン語、英語、日本語でのコミュニケーションが取れる。現在は台湾語も勉強中とのこと。
“お客さんにビールを通してスピリットを伝える” というアクションは ”ファンに音楽を通してスピリットを伝えるアクション” を彷彿とさせる。スピリットをメッセージとして受け取るファン(=常連)を大切にするダビド氏の熱意を感じた。取材中にも、道端を通り過ぎる常連さんにも丁寧に声をかけていたシーンが印象的だった。
「地域内での資源循環を実現」
多くのブルワリーにとって大きな悩みの種である ”モルト粕”。醸造工程で大量に発生する副産物だ。このモルト粕は栄養価が高いにもかかわらず、その使い道がなく産業廃棄物として廃棄されているケースが大半である。イグドラジルではこの”モルト粕” をユニークな方法で利活用しているようだ。
「モルト粕は馬を育てる牧畜家の方々に持って行ってもらって、馬の飼料として使ってもらってるんだ。馬の牧畜家にとっては、栄養価の高い飼料を無料で手に入れることができるし、我々にとっても廃棄する手間と費用が省けるから助かっている。1日の仕込みで約200kgのモルト粕が排出されるけど、馬はこれを1日で食べてしまうよ。モルト粕は無料で提供しているけど、その代わりにたまに地元の農家でとれたB級品野菜をもらうこともあるね。ローカルで商売する良いところだし、本当に助かってるよ。 モルト粕の廃棄料として、毎月何万円も払っているブルワーもあると聞くけど、これはもったいないよね。モルト粕の受け皿を見つけるのは簡単なことではないけど、モルト粕のアップサイクルを地域で実現して、資源が循環したら良いと思ってるよ。」
“つい先日も変形した人参をもらって、子供のカレーに使ったよ” とダビド氏は笑う。地元の農家・牧畜家・飲食店との密接なリレーションは思わぬところでその効果を発揮する。 モルト粕はクッキーなどにも使えるが、活用できる量は少ない。毎回の仕込みで何百キロも出るモルト粕をさばくためには、やはり大量に消費できる受け皿を見出す必要があり、それが今後のブルワリーの大きな課題の1つになるだろう。
「常にクレイジーでいたい」
今の日本のクラフトビール業界には感じるところもあるようだ。それは、ヘビメタスピリットを大事にするダビド氏ならではの発想だった。
「うちはクレイジー主義で、とにかくやりすぎくらいがちょうどいいんだ。レシピはもちろん、ボトルや缶のラベルにもそのスピリットを存分に感じてもらえるようにしている。日本のブルワリーの多くは良くも悪くも真面目すぎるよね。例えばラベルも、良く言えば清潔感や整理整頓された感じはあるけど、言い換えると非常に単調。誤解を恐れず言うと、楽しくないよ。音楽もそうだけど、ジャケットからその音楽への興味がわいたり、アーティストのスピリットを感じるけどよね。クラフトビールも同じで、ラベルからブルワーのスピリットが感じられ、なんとなく味やフレーバーを想像できる、そんなデザインを意識しているかな。 とにかくクレイジーでいたいから、ラベルやレシピも、広く受け入れられるような守りのデザインや配合は考えたくない。保守的な意見を恐れずに、面白いことや変わった取り組みにチャレンジすること、それこそが僕が考えるブルワリーの姿だよ。そもそも、うちのお客さんは常連さんも多いから、うちのビールのどれが ”優しいビール” なのか ”エクストリームビール” なのか分かっているんだ。だから、エクストリームビールが苦手な人は優しいビールを飲んでもらえるし、初めてのお客さんには好みを聞いて、丁寧に対処している。それで十分だと思うよ。」
「インスピレーションに溢れたレシピ作り」
オンタップのラインナップは ”ド変態” なものばかりとダビド氏は話す。
スタイルはセゾン、ラガー、サワー、エール、バイツェン、ミード、ワインと多彩。酵母は2,3種類を使いまわすことが多いが、より多様な種類の酵母を使用していることもイグドラジルの特徴の1つだ。多様な酵母から生まれる多様なラインナップを見るだけで、ワクワクする。以下で当日飲み比べさせていただいたメニューの1部を紹介したい。
① CARE BEER ~ Fruit Saison (ABV:4.6% | IBU:20)
ピンクグアバと麻、マリファナのCBDを注入したフレンチセゾン。まろやかなハーブとフルーティな香りの軽い口当たりのリラクゼーションドリンク。
「CBDは昔から知っているけど、ビールに使ってみたかったんだ。ただ、CBDだけを入れるとイブプロフェンの薬の味が強く出てしまうからフルーツを入れて優しい味を出そうと考えたんだ。そこで行きついたのが、妻の故郷の台湾の定番フルーツでもあるグアバ。グアバは日本ではそこまでメジャーではないから、あえて使っているという側面もあるんだ。もちろん優しいフルーツの香りがCBDともマッチしているのは言うまでもないね。甘すぎたり、苦すぎたり、すっぱすぎたりするとお客さんもすぐに飽きてしまうので、飽きられない味を維持することが大切かな。 CBDは30g入っていて、実はこれがとてつもなくコストがかかってる(笑)。ただ、とても残念なのが、CBDをマリファナと結び付けて、ちょっとネガティブな印象があることだね。CBDは元看護師である妻のお墨付きを受けた健康食品なのに…もっと色んな人に飲んでもらって、CBDの安全性を広めていきたいね。」
② ImPaLer ~ I.P.L(ABV:5.666% | IBU:30)
バーブルージュホップでドライホップしたヘビーメタルラガー。ストロベリー、バブルガム、ミントのアロマがあり、ドライな口当たりと苦みがある。
「フランスのアルザス地方のホップを使って仕込んだIndia Pale Lagerだね。IPAじゃないよ(笑)。 飲みやすく、辛口でさっぱりとした味わいを目指したんだ。ホップは”バーブルージュ”という珍しい種類で、いちごのようなベリー系の香りが特徴。コストはかかるけど、常連さんの強いリクエストで作り続けてるんだ。 IPAではなくラガーだから当然だけど、ラガー酵母を使っていて発酵、熟成にかかる時間が長くなるよね。同じ期間でもラガーはIPAの半分くらいしか作れないんだけど、それだけ時間をかけて作るのは、常連さんのリクエストがあるから。時間をかけてでも常連さんが求めるビールは提供したいよね。 余談だけど、うちのメニューがIPA中心のラインナップではない理由は、僕がIPAに飽きたから(笑)。ヨーロッパにいた10代のころはアメリカのIPAはまだ広まっていなかったから、アメリカのIPAが市場に出てきた当初はたくさん飲んでたけど、だいたい100種類も飲んでみるとその味の広がりが少ないことに気づき始めて、ヨーロッパの多彩なビール作りに偏っていったということだね。」
ラガーは一般的に7~10日間の発酵期間とその後1か月の熟成期間を経て、開栓されるものだ。熟成期間も含めても2週間程度で開栓できるエール系の2倍の時間をかけて作られている。つまりそれだけ回転率が落ちるため、その販売単価が上がるのが普通だと考えられるが、イグドラジルが提供するラガーはエール系と同価格でかつ、飲食店で飲むクラフトビールと比較すると非常に安価だった。イグドラジルのビール1杯当たりの利益は少ないものだと想像できるが、”お客さんに美味いビールを安く提供する” というダビド氏の強いスピリットを感じた。
③ Peach Bloody Peach ~ Fruit Gose(ABV:4.5% | IBU:15)
フランス産ブラッドピーチをふんだんに使用し、ほんのり海塩を加えて醸造したサワーエール。さわやかでドライな口当たり素晴らしい桃の風味がある。
「フィリーサワー酵母を使った、サワーエールだね。このフィリーサワー酵母は発酵率が高くて、アルコール発酵中に乳酸を生成するのが特徴だね。問題は、通常の酵母は複数回再利用できるけど、このフィリーサワーは1回しか使えないし、しかもそのコストも決して安くない。自分が作りたいと思ったものはコスパはあんまり考えないでチャレンジしてみる、ということだね(笑)。 フランス産のブラッドピーチは日本のピーチとは見た目も味も異なる。真っ赤で、酸味が強い。日本のピーチに比べて非常にすっきりした味わいかな。 今樽を開けているけど、この季節にしては思ったより暑くなって、喉を潤すサワーエールにとってはちょうどよかった。」
いずれもあまりお目にかかれないビールだった。これほどにマニアックな飲み比べができる店は他には類を見ない。とにかくインスピレーションに溢れている。ダビド氏のスピリットを存分に注入したレシピと言える。 またその酵母やホップの情報も出し惜しみすることなく、笑顔で教えてくれたダビド氏。新たにブルワリーを目指す人や既に開業しているブルワーが毎月のようにイグドラジルを訪問し、勉強して帰るということも納得できる。
「ジャパニーズクラフトビールは今絶好の変革チャンス」
日本のクラフトビールブームをけん引しているアメリカスタイルのクラフトビール。それは言い換えると、ジャパニーズクラフトビールが “Made In Americaのクラフトビール” の後塵を拝しているとも言える。そんな状況にダビド氏は一筋の光を見る。
「円安の影響でアメリカのビールの価格が高騰しているよね。これは日本のブルワリーにとってチャンスじゃないかな。地元でフレッシュなビールを良い状態で作ることができれば、値段と味の総合力でアメリカのIPAに勝てるよね。今は海外原料の仕入れコストは上がっている一方だけど、僕はそれを ”新たなチャレンジのチャンス” とも捉えている。今まで海外から輸入してきた原材料・副原料を少しずつ、国産のものに切り替えていくことで、原料コストの上昇を抑えるんだ。国産材料を使うことで、地元の特産品への支持を示すと同時に、飲みに来てくれるお客さんに対して、ビールの新鮮さを保証することもできる。ビールの味は鮮度が命だしね。今の円安・原料高の状況は国産ビール生産にとって絶好のチャレンジチャンスだよ。」
今大人気のIPAスタイルはアメリカ発祥のものが多いのは事実だ。そして、アメリカ輸入ビールの販売店はこれまでにないほどの盛況ぶりを見せている。この人気はフルーティな香りとホップの苦みの絶妙な掛け合わせからくるもので、間違いなく美味い。この味をより鮮度の良い状態で、安価に日本のブルワリーで提供できる未来に期待したい。
「僕はとにかく冒険とチャレンジが大好き。毎日朝から晩まで新しいプロジェクトのことを考えている。このマインドはうちのレシピにも反映されていて、仕込みのたびにアジャストしたくなるんだよ。どのバッチも ”完璧” にはならないし、なりえない。だから毎回アジャストしてより美味しくて楽しいビールを作りたいんだ。 これって、ミュージシャンが曲を作るのに似ているかもね。1度レコーディングした後に、色々調整したくなる気持ちと同じ。細かいことでも、新たなチャレンジを続けることで気持ちもポジティブになるしね。この精神を持ち続ける限り美味しいビールを作り続けられると信じてるよ。」
音楽もビールも ”アート” であると言い切るダビド氏。今の日本のクラフトビールブームを一過性にものにしないために、イグドラジルで飲める ”スピリットを感じるビール” が世の中に広がることは、明るい日本のクラフトビールシーンを感じさせるものとなる。”今後多くのミュージシャンとのコラボもしていきたい” と語るダビド氏の今後の動向に注目したい。(Beerboy 編集部)
Yggdrasil Brewing
住所:神奈川県平塚市夕陽ケ丘44−7