#10 みぞのくち醸造所

神奈川県川崎市。東急田園都市線溝の口駅から徒歩10分。 緑に覆われた落ち着いたテラスから一歩中に入ると、そこにはワクワク感満載の広いスペースが広がる。高い天井がその広い空間を一層強調しつつも、左手には巨大な醸造タンクが存在感を発揮し、右手には洗練されたクラフトビールの缶や瓶が店内に彩りを添えている。中央には立ち飲み用の大きなテーブルがどっしりと置かれそこにはオシャレなコースターが積まれ、居心地の良い空間が広がっている。2年前にスタートして既に街のランドマーク的な存在になっているこの店は、みぞのくち醸造所だ。

今回はブランドマネージャーの内藤氏とヘッドブルワーの天野氏のお二人にみぞのくち醸造所の方針、醸造のこだわり、業界への想いを伺った。

人×場所×情熱が織りなす奇跡の出会い

(内藤氏)「みぞのくち醸造所は2022年5月に㈱ローカルダイニングの代表榊原が設立しました。このプロジェクトの始まりは、本当に人と場所の絶妙なタイミングから生まれたんです。元々社内でクラフトビールを作りたいという話題が盛り上がって、ちょうどそのタイミングで有難いことにこの物件のお話をいただきました。その後具体的にオープンの時期が決まって、新たなメンバーを迎えるための採用活動を始めたところ、ヘッドブルワーの天野が参画してくれて、チームが完成しました。天野は、創業当初から常に最高のビールを作り出し続け、現在ではみぞのくち醸造所の心臓としてその存在感を放っています。この ”人と場所の要件” をうまく満たしたことが、みぞのくち醸造所の誕生の大きなきっかけでしたね。私自身は数年前にクラフトビールに出会ったのですが、その多様性と奥深さに衝撃を受けて、クラフトビール作りへの想いが強くなったんです。ビールって、元々のイメージは”ピルスナースタイルのラガー” 一択でしたよね。その清涼感や飲みやすさが主流で、他の選択肢を考えることはあまりなかったと思うんです。しかし、クラフトビールと出会ったことで、その多様な味わいに驚きと魅力を感じました。クラフトビール特有の深みや複雑さがビールの楽しみ方を一気に広げてくれたんです。こうして、みぞのくち醸造所は人と場所、そして情熱が織りなす奇跡の出会いから誕生し、地域に根ざしたビール作りを続けているんです。」

人と場所の絶妙なタイミングと情熱が結びついた集大成となるみぞのくち醸造所。醸造開始2年で既に地域のランドマーク的な存在になっているその要因を紐解いていく。

“みぞのくち醸造所らしさ” の追求

多様な文化、国籍、世代、住環境、働き方が共存し、それぞれが調和しながら独自の魅力を放つ街、溝の口。この多様性こそが、溝の口を魅力的で活気に満ちた場所にしている要因であり、みぞのくち醸造所はそんな街の特徴を表現する醸造所でありたい、そんな想いを伺った。

(内藤氏)「最も大切しているのは “ローカル” ですね。ローカルを見据えた”みぞのくち醸造所らしさ” を大切にしながらビール醸造を行っています。溝の口という街にみぞのくち醸造所があって、そこに自分たちがいて、街の人達が “ビール飲むならみぞのくち醸造所だよね。” という感じで集まってくる。そんなブルワリーになることを目指してます。 ”みぞのくち醸造所らしさ” って何だ、という話ですが、2点あります。1つは様々な人が行き交い、様々な生き方が共存する街 “溝の口” の多様性を表現している点です。もう1つは、そんな街にあるブルワリーのスタッフも多様性に富んでおり、”ビールの楽しさ” と ”醸造家のこだわり” の掛け合わせで多様なビールを生み出している点だと思います。そんな ”みぞのくち醸造所らしいビール” をより多くの人たちにも知ってもらいたいと考えています。そのために、各地のビアフェスなど様々なイベントにも遠征していきたいと思っていますし、多くのアワードや賞レースにもエントリーしてブルワリーとしての評価を上げていきたいです。 最近では、韓国の国際ビールコンペティションKIBA(Korea International Beer Award 2024)のHistorical Beer部門にて金賞を受賞することができました。基本的にエントリーから運送の手続きまで全て英語で細かいハードルが多かったのですが、無事に賞が取れてよかったです。」



そんなみぞのくち醸造所ではKAMOSU NIGHTという音楽イベントを定期的に開催している「酒を醸す 音を醸す 縁を醸す」というコンセプトを掲げたイベントはみぞのくち醸造所の ”らしさ” を表現しているのだろう。

(内藤氏)「このイベントは ”Good Moon”さんというアーティストの皆さんが企画・主催したもので、この素敵なコンテンツに我々が場所とクラフトビールをご提供させていただいているものですね。 ”楽しい場所” で ”楽しいビール” を提供できればと思い、”Good Moon”さんに定期開催いただいています。その観点では、必ずしもビールが主役でなくとも、まずコンテンツがあって、その添え物としてのビールでもよいと考えています。ビール×コンテンツのセットで楽しめる体験を大事にしているためです。今後もメインディッシュとなるようなコンテンツをたくさん企画していきたいと考えています。といってもあえて ”とがったコンテンツ” を狙うのではなく、”自分たちが楽しいと思えるコンテンツ” にしていきたいです。みぞのくち醸造所に関わってくれる皆さんと一緒に企画していくコンテンツとビールのセットでお客様が楽しんでもらっているのを見るのが何よりも嬉しいですね。色んな人が行きかう街で、多様なお客様、多様なスタッフがいる中で、そんな多様性を表現していきたいです。地元の人にとって、 ”うちの地元にはみぞのくち醸造所があるんだよね” って言ってもらえるランドマーク的な存在をこれからも目指したいですね。」


“地域に根ざしながらも地域の外にも目を向け、楽しいビール作りとイベントを通じて、多くの人々に喜ばれる存在であり続けたい” と語る内藤氏。自身も複数のキャリアを経て現職に就き、今はPRからバックオフィス業務など幅広い業務を担当しており、さしずめ多様性というキーワードに紐づく ”みぞのくち醸造所らしさ” の体現者という印象を受けた。

“経営” と “みぞのくち醸造所らしさ” のハザマで

経営上の数値を考えると、醸造量を増やしたい。その意思決定は時に、”みぞのくち醸造所らしさ” を棄損しかねない諸刃の剣となる。そんな葛藤にどう立ち向かうのか、みぞのくち醸造所の経営手腕が問われる。

(内藤氏)「現状600㍑の発酵タンクが5本あり、いまは全仕込みダブルバッチのフル回転でビール製造を行っています。設備改善を進めて生産量の最大化を目指していますが、現在の品質を維持しながらの醸造量増には慎重なバランスが求められます。 生産効率のいいビール液種を増やせばもちろん醸造量は増えますが、”お客様が求めるもの、作り手としてのやりたいこと、事業としての収支、この3つのバランスをいかに取るか” が経営にとっての大きなテーマとなります。生産効率が決してよくないビール液種であっても、ブルワリーとして作るべきと考えているものや、お客様が求めるものならば、それを作り続けることが大切です。タップルームでは常にみぞのくち醸造所らしいビールを多数提供して、お客様はいつ来ても、たくさんの選択肢から飲みたいビールを選べる。この体験そのものがみぞのくち醸造所の提供価値であり、ブランドに繋がるとも考えています。品質を妥協せず、より効率的な生産体制を目指しながら、お客様に最高のビールを提供することが重要ですね。これからも、品質と生産量のバランスを保ちながら、地域に根ざしたビール作りを続けていきます。」

 

醸造量を増やすことで一時的に経営は安定化する。しかしその影響として ”みぞのくち醸造所らしさ” が失われ、培ってきたブランドが棄損すると中長期的には経営に多大なインパクトが生じる。短期的な利益を担保しつつ、中長期的なブランド戦略を見据えること。それがみぞのくち醸造所の経営方針と言えるのだろう。

“ビール=主役” でなくてよい

おだやかな雰囲気で優しい口調で語るヘッドブルワーの天野氏。数多の人気メニューを世に送り続けている天野氏がみぞのくち醸造所にジョインしたきっかけとは。

(天野氏)「20代中盤からクラフトビール業界に携わり始めました。東京の醸造所でブリューイングをしていたのですが、みぞのくち醸造所がオープンする数か月前にその情報を知り、参加を決意しました。実は以前、溝の口エリアに住んでいたことがあり、その縁もあってこの場所に強い親しみを感じましたね。 また、みぞのくち醸造所がオープン前であることにも大きな魅力を感じました。新しい場所でゼロから醸造を始めるという挑戦が自分にはぴったりだと感じたのです。 またみぞのくち醸造所が掲げる ”ローカルを大事にする” という理念にも強く共感し、私も一緒にこのプロジェクトに参画したいと考えました。新しい環境でゼロから自分の手でビールを作り上げることに、強い意欲と期待を抱いています。」

ビジネスにおいても “0から1へのフェーズ” は、企業の成長過程で最も重要かつ困難な段階と言われている。このフェーズでは、新しいビジネスアイデアを形にし、市場に出し、初期の成功を収めるための基盤を築くことが必須となるためだ。醸造における “0から1へのフェーズ” にチャレンジすることに醍醐味を感じる天野氏だからこそ、多くの人気メニューの開発に成功しているのだろう。そんな天野氏の醸造哲学は”主役にならないビール作り” だ。

(天野氏)「クラフトビールってそれ自体が主役にならなくてもいいと考えています。あくまで主役は飲み手であるお客様であるべきだと。主役ではないビールって言い換えると ”ビール自体が主張しすぎることなく、飲みやすさを重視している” ということですね。クラフトビールは、その多様なフレーバーと個性で多くの愛好家を魅了していますが、一方で、飲みやすさやバランスの取れた味わいも非常に重要だと考えています。バランスが取れていて、だれもが様々なシーンに合わせて気軽に楽しめるビールを提供したいですね。ビールは多くのシチュエーションで楽しむものだからこそ、軽やかで爽やかな飲み心地が大切だと思っています。中にはアルコール度数が8%に達するレシピもありますが、高アルコール度数でもドリンカビリティの高いビール作りにこだわっています。アルコールが強いビールは、その力強さとともに、バランスの取れたフレーバーと滑らかな口当たりが求められます。飲むたびに新しい発見がありながらも、1杯で満足することなく、次の1杯も楽しみたくなるような味わいを目指しています。」

“ブルワリーのビールが主役でなくてもよい。” 一見矛盾しているように聞こえるが、多様なお客様がタップルームでの体験を良いものにする、という溝の口醸造所の考え方とフィットしている。飲みやすさとドリンカビリティを追求しつつ、多様なフレーバーとスタイルを提供している。高アルコール度数のビールであっても、バランスの取れた味わいと滑らかな口当たりを実現し、多くのビール愛好家に愛されるビールを作り続ける天野氏の思想はみぞのくち醸造所らしさを表現しているようだ。

みぞのくち醸造所が誇る3ブランドとは

みぞのくち醸造所には3つの定番ブランドがある。”ノクチビアーズ”、”ウタウト”、”ワラウト”の3つだ。このブランドに込めた想いとは。

(内藤氏)「うちでは、ビールの多様性と品質を追求し続けています。特に①ノクチビアーズ、②ウタウト、③ワラウトの3ブランドは、それぞれ独自の特徴を持ち、幅広いビール愛好家に支持されています。
①ノクチビアーズは最初の一杯としての位置づけです。クラフトビールの飲みごたえを維持しつつ、重すぎないデイリーに楽しめる定番商品です。ドリンカビリティを重視したベーシックなビールとして、クラフトビール初心者のお客様にも親しみやすいブランドとして定義しています。
②のウタウトはフルーツなどの副原料を多く使用したフレーバーが特徴です。このブランドは、従来のビールにはない豊かな味わいを提供し、多様なフレーバーを楽しみたいという人々にぴったりです。フルーツの自然な甘さとビールの爽やかさが絶妙に調和し、パーティーや特別なイベントの際にも非常に人気があります。ビール愛好家から初心者まで、幅広い層に喜ばれるブランドとして位置付けています。
③ワラウトはホップのキャラクターを強調していて比較的アルコール度数の高いビールを提供しています。このブランドは、しっかりとした味わいと独特の苦みを持つビールを楽しみたいビール愛好家に向けて作られています。アルコール度数、ホップのアロマや麦のコクが強めのものが多いため、一杯で満足感を得られるのも特徴です。複雑なフレーバーを持つビールが多く、ゆっくりと味わいながら飲むことで、その深い味わいを堪能することができます。ホップの香りや苦みが際立つ”ワラウト”のビールは、コアなビールファンを唸らせる一杯を提供します。」

多くのブルワリーでは醸造するビールのスタイルで区分けしていることが一般的だが、みぞのくち醸造所はスタイルではなく、ブランドで整理している点が特徴的だ。3つのブランドの特徴が分かりやすく明確に区別されているため、お客様のその日の気分によって飲むブランドを飲み分けられることは魅力的だ。一方で、新たな挑戦を続けているみぞのくち醸造所は”このレシピはこのブランド”と明確に区分けできないレシピが生まれることもしばしばあるそう。

(内藤氏)「年間を通じて定番となっているビールには、ノクチビアーズのPale Ale、IPA、Hazy IPA、ワラウトのHoppy LagarやHazy DIPAですね。やっぱり常連さんから好きと言ってもらえるメニューは出し続けていきたいですね。一方最近では、3つのブランドに分類されない新しいビールも次々と登場しています。仕込みの50〜70%は新しいスタイルのビールで、3つのブランドに区分けするのが難しいことがあるんです。それは、お客様が訪れる度に新しいビールとの出会いを楽しんでほしいという想いがあるためです。最近の例では、5月の2周年を記念した周年ビールを2種リリースしました。北米のトレンドを取り入れた現代版のWest Coast IPAと、ホップ全盛の現代にあえてジュニパーとヤロウをメインアロマにセレクトしたFarmhouse Sourです。これらの新作への挑戦は基本的にヘッドブルワーに一任しています。」

常に楽しい経験を提供することを目指すみぞのくち醸造所にとって、お客様に ”新しいビールとの出会いを提供する” ことの重要性を感じる一幕だ。 Farmhouse Sourは “みぞのくち醸造所らしさ” を全面に出し、更なる可能性を求めたビールになっている。昔ながらの製法に着目し、ホップ全盛の時代にあえてホップを使用せずジュニパーベリーとヤロウフラワーをメインアロマとして使っている。様々なカルチャーが混ざり合う溝の口という街らしさを表現しているとのこと。

様々なシーンで、”飲むスタイルを選べる”世界の実現に向けて

今のクラフトビール業界における課題認識を天野氏、内藤氏に伺った。

(天野氏)「かつてはニッチな存在であったクラフトビールも、最近では広く認知されるようになってきました。それでも他の酒類に比べると限られた環境にいると感じています。 自分の好きな場所で、自由にクラフトビールを選べる環境になってくれるのことが私の理想です。 限られた市場であるぶん、ビールに対する先入観や固定観念的を持った方にも、”こんなビールもあったんだ” と新しく気付いてくれたら、より明るく楽しいビールの世界になると思っています。」

ビールを飲む人が自由に選択できる環境を整え、ビールが苦手な人の先入観を打ち破ることが重要だ。”多様なフレーバーとスタイルを提供することで、より多くの人々にクラフトビールの魅力を伝え、ビールを飲む人がどこでも自由にクラフトビールを楽しめるようになったら良いですね。” と天野氏は語る。

(内藤氏)「アメリカのクラフトビールカルチャーに初めて触れた時、その多様性と市場の広がりに大きな衝撃を受けました。アメリカでは、スーパーの棚にローカルビールがずらりと並んでおり、誰でも気軽に ”ジャケ買い” や ”スタイル買い” を楽しむことができます。このような環境が整っていることで、さまざまな種類のビールを試そうという意欲が自然と湧いてくるんですね。日本でもこのようなクラフトビールの多様な選択肢が広がる未来になっていくと、もっと明るく楽しいビール市場になっていくのではと思っています。各地域でローカルブルワリーが盛り上がり、どの場所でもその土地ならではのビールを楽しめる環境が整うことを願っています。ビールを飲む人が気軽に多様なビールを手に取り、試すことができる市場が広がることで、クラフトビールの魅力をさらに多くの人々に伝えることができるのではないかと思っています。」

アメリカのように、各エリアのローカルブルワリーが活性化し、地域ごとに独自のクラフトビール文化が形成されることにより、消費者は地元のブルワリーを応援しつつ、多様なビールを楽しむことができる。同時に、地域の特色を反映したクラフトビールが生まれることで、クラフトビールそのものがその土地の文化や歴史を語る存在となる、そんな未来が見えた気がした。

二人とも口を揃えて ”消費者が自由にクラフトビールを選択できる環境” の重要性を語っていた。それほどに今の日本のビールカルチャーは選択肢が狭いということだろう。一部では多様なクラフトビールが並び、気軽に購入できる店も話題になってはいるものの、ビール市場の2%弱という小さいクラフトビール市場を広げる決め手になるものにはならないのかもしれない。各地のブルワリーが競い合いながらも協力し消費者に新しいビール体験を提供することで、クラフトビール市場全体が成長していくことに期待したい。(ビールボーイ編集部)


みぞのくち醸造所

神奈川県川崎市高津区溝口3丁目2−5 1F BOIL
Instagram




ブログに戻る