#17 ISANA Brewing

JR青梅線の昭島駅。立川駅から5駅と都心からもアクセスの良いこのエリアの水は深層地下水を100%利用していることで知られている。水道水のすべてを地下深くからくみ上げた深層地下水でまかなっており、これは日本全国でも珍しい取り組みだ。深層地下水は地層によって自然にろ過され、不純物が少なく、清らかでおいしい水質が特徴。また、ミネラルバランスが整っており、飲みやすいと言われている。この深層地下水を使った特徴的なビールを次々とリリースしているブルワリーがある。「ISANA Brewing(以下、イサナ)」だ。

実は昭島は世界で初めて古代クジラの全身骨格が発見された場所。発見された200万年前のクジラは「アキシマクジラ」と名付けられ、昭島のシンボルにもなっている。イサナは古代クジラの和名「勇魚」(いさな)が由来となっている。ロゴもビールを醸造するためのコニカルタンクと、クジラが隠れているユニークなものだ。



今回は、航空宇宙関係のセンサー設計をしてきたエンジニアだったイサナの代表 / 醸造責任者である千田(ちだ)氏にお話を伺った。


 

機械設計エンジニアから醸造家へ

10年間エンジニア経験を経て醸造家に転身した千田氏の挑戦の歴史について伺った。

2018年5月にイサナを設立しました。それ以前は機械設計のエンジニアとして10年間サラリーマンをしていました。前職では航空宇宙関連のセンサー機器を主に設計していて、そのさらに前の職場では、半導体製造装置の研究開発を担当していました。技術の最先端での仕事にやりがいを感じてましたね。

エンジニアとしての仕事に充実感を覚えつつも、若い頃からカフェを運営してみたいという淡い憧れが心の中にありました。学生時代にはスターバックスで4年間アルバイトをしており、そこでの接客やコーヒーの魅力に触れたことが、その夢の原点だったと思います。ただ、その時点ではカフェ運営はあくまで憧れの職業であって、新卒では機械系の企業に就職しました。

これまでの取材でも醸造家になる前に、ビール業界とは異なる業種経験を経て醸造家になる方が多かった。そんな中でも「機械設計のエンジニア」という肩書を持つ醸造家は異例だった。そんな先端技術を磨いてきた千田氏が醸造家という大きなキャリアチェンジを図ったきっかけは何だったのか?

まず「なぜクラフトビールか?」という点ですが、社会人として旅行を重ねる中で、地域に数多くのブルワリーが存在することを知りました。色々なブルワリーを巡り、その雰囲気の良さや楽しさに心を動かされました。中でも小樽にある「小樽ビール」訪問が大きな転機になったと記憶しています。閉店間際にも関わらずブルワリーツアーに参加させてもらった際に、クラフトビールについて詳しく教えてもらい、最後にヴァイツェンを飲ませてもらったのですが、その美味しさに衝撃を受けたんです。この体験がきっかけで、クラフトビールへの興味が大きく膨らみました。
もともとはカフェに興味を持っていたのですが、コーヒーのみで勝負するビジネス面の難しさを実感していました。お客様にとって、コーヒーって1杯飲んだら終わりがちですが、ビールなら何杯もおかわりしてくれる可能性があります。そうしたビジネスの観点からも、ビールの魅力に惹かれました。ただ、コーヒーは今も大好きで、イサナでも提供しています。

次に「自分の店舗を持ちたいと思ったのはなぜか?」という点ですが、サラリーマン時代に見つけた小さな雑貨屋さんとの出会いが転機となりました。そこの店主と親しくなり、雑貨のセレクトショップを運営しながら地元のイベントを企画している姿がとても楽しそうに見えたのです。僕自身は大学の頃から機械設計をして、「自分のアイデアや先端技術で世の中を良くしていきたい」という想いを持っていたんですが、「そういった特殊な技術がなくても世の中を良くしていけるんじゃないか」って思うようになったんです。自分の店に来てくれる人が、何か価値を見出してくれて、楽しんでくれたら、それだけで世の中が良くなっているんじゃないか、って感じたんです。人の人生に大きな影響を及ぼす仕事でなくても、人生にちょっと色を添える仕事ができたら幸せだなって。色を添えることで、日々働くサラリーマンが人生を楽しめる。こんな価値のある仕事もあるんだと気づいたんですよね。

自分が作ったお酒で楽しい気持ちになって明日の仕事も頑張れる!例えばその方がインフラ関係の方だったら自分もインフラ関係の仕事の役に協力していると思えるし、例えばその方が国防の関係の方だったら自分も国防の仕事に貢献できているなと思いながら仕事をしています。

若い頃、多くの学生が名だたる大手企業の社会的影響力に魅了され、その一員となることを夢見るのは自然なことだ。確かに、大手企業で働くことはスケールの大きなプロジェクトに関与し、広範な影響力を実感できる貴重な機会を提供してくれる。
しかし、それだけが価値あるキャリアの形ではない。「自分の店を持ち、自分のアイデアを実現し、自分の手で周囲の人々に価値を届ける」という行為もまた、かけがえのない喜びと手触り感をもたらす。そこには、巨大な組織の一部として働くのとは異なる、個人の力で道を切り開く挑戦と達成感が存在している。
企業に属することで得られる影響力と、自分自身の手で創り出す価値。どちらが優れているというわけではないが、いずれも人生における大きな選択肢となりうることは間違いない。

 

経営者 兼 醸造家 兼 店長のという肩書のジレンマ

コロナ禍は、多くの業界に計り知れない影響を与えたが、クラフトビール業界も例外ではない。千田氏はコロナ前に設備増強を計画していたものの、パンデミックの到来によりその計画を一旦ストップせざるを得なかったと語る。

コロナ禍で計画が狂ってしまいました。設備を増やそうと思った矢先にコロナが始まり、その影響で設備増強計画は一旦ストップしました。そして、コロナが明けた頃にはブルワリーが急増していて…今後どう立ち回るべきか悩んでいるところです。
設備を増強して醸造量を増やすという選択肢もありますが、増やしたところで確実に販売チャネルを確保できるかどうかは分かりません。そのため、先に販売チャネルを確保してから醸造量を増やすべきかどうか、判断に迷っています。
醸造場にしても飲食店にしても、やはり一番の課題は場所探しですね。本来であればもっと時間をかけて理想の場所を探したいと考えています。しかし、醸造と店舗運営の両方を行っていると、そのための時間をなかなか捻出できていないのが現状です。この点も大きな悩みになっています。

コロナ禍の事業再構築補助金を元手にブルワリーが次々と新設されたという話はよく耳にする。イサナはそういった補助に頼らずに設立したブルワリーであるがゆえに、千田氏はその投資の重みも十分に感じているのだろう。経営者でもあり醸造家、店長でもある千田氏は、経営とモノづくりのバランスを取ることにも苦心しているようだ。

できれば私は醸造と経営に専念し、お店の運営は他のスタッフに任せたいと考えています。しかし、これまで私自身の顔で売ってきたようなお店なので、お客様から「千田がいない」というお声をいただき、私も「お客様と直接話がしたい」という気持ちから店に立つことが増えています。また、醸造は他に1名ブルワーがいますが完全に任せきりにはしたくはなくて。。。私自身、職人としての一面を持っており、「自分のアイデアをアウトプットしたい」という気持ちが強くあります。このため、醸造は自分の手も介しながら進めたいと考えています。その結果、経営に十分な時間を割くことが難しい状況に陥っているんですね。少しでも間接業務の負担を軽減するため、税金計算用の記帳や在庫管理にシステムを導入し、デジタル化を進めています。現在はクラウドサービス「キントーン」をベースとして、ブルワリー用にチューニングしている段階です。このシステムが完成すれば、経営に割ける時間がもう少し増えるのではないかと期待しています。

 (満面の笑顔で店に立つ千田氏)

オーナーが経営、醸造、店舗運営のすべてを担うことは、多くのマイクロブルワリーが直面している共通の課題である。これらのいずれかの業務を軽減するために人を雇用しようとしても、莫大な費用がかかり、マイクロブルワリーにはその余力がないのが現状である。その結果、オーナーが1人ですべての業務を抱え込み、営業やマーケティングといった経営上の重要イシューに十分な時間を割くことができないというジレンマが生じている。

この課題を解決する方法として、大きな期待を寄せられているのが「業務のデジタル化」である。特にブルワリーの間接業務には、依然としてアナログ部分が多く残されており、デジタル化による効率化の余地は非常に大きいと考えられる。


(イサナが実際に開発している醸造管理ツール)

 

3坪の醸造所で醸す「変態的なビール」

イサナのブルワリー(店舗内の醸造スペース)は3坪というコンパクトなスペースに300㍑×3基の発酵タンクを所狭しと並べている。そんなブルーハウスで醸されるビールは「変態的」と千田氏は笑う。

オーソドックスなものから変態的なものまで幅広く作っています。変態的なビールの例としては、現在のラインナップでは「出汁」を使ったエールがあります。鰹節や本枯節を使用したベルジャンエールで、「Zebra Udon Dasi Ale」という商品です。このビールはベルジャン酵母を使い、スパイシーさと出汁の複雑な風味をまとめ上げています。IBU(ビールの苦み指数)も高めに設定し、しっかりとした苦味を出しているのが特徴です。良い出汁をたくさん使うため、原価が上がってしまっていますが、やはり他にない変わったビールを出したいので無理しています(笑)。
他には、ホタテの貝柱と利尻昆布の出汁を使ったビールもあります。こちらは北海道をイメージしたビールです。37年前に発売されたファミコンゲーム「オホーツクに消ゆ」が最近リバイバルされ、その公式ビールとして作らせていただきました。商品名は「オホーツクに消ゆエール」です。
さらに、過去にはメロンクリームソーダ味のホップコーンビールなども手がけました。こういったユニークなビールを「変態的なビール」と呼んでいます。普通に美味しいビールは他のブルワリーも作っているので、イサナは「変わったビールを楽しんでもらいたい」という想いで作っています。クラフトビールには他のお酒にはない幅広さがあり、それが醍醐味です。「こんな面白いビールがあるなんて、もっとお酒を楽しめる人生っていいな」と気づいてほしいという気持ちから、こうした挑戦を続けています。

もっとも、結局は「自分が作りたいビールを作っているだけ」という側面もあるのですが(笑)。

 

(左から「Zebra Udon Dasi Ale」と後述する「ナイトロコールドブリュー」

 
(表面張力ギリギリの注ぎ方も変態的だ)

「確かに変態的なビールですね」と笑いを誘うユニークな商品群。従来のビールに対する固定観念を打ち破るような発想が、クラフトビールの面白さを引き出している。
しかし、従来のビールの先入観によってビールが苦手な人からはやはりクラフトビールは敬遠されがちである。その結果、多くの人がクラフトビールの醍醐味を味わう機会を逃しているのが現状だ。だからこそ、このような「変態的なビール」が世の中にもっと増えることで、クラフトビール市場の間口が広がり、さらに市場が成長する可能性を秘めている。
個性的で挑戦的なビールが持つ魅力は、クラフトビールの新しい可能性を提示している。消費者が従来のビールの枠を超えて「こんなビールもあるのか」と驚き、楽しむことができれば、クラフトビールの未来はますます明るいものとなるだろう。

 

魅惑の「ナイトロビール」

千田氏が業界で一目置かれる要因は、こういった「変態的なビール」だけではない。炭酸ガスの代わりに窒素ガスを混入させた「ナイトロビール」もまた千田氏のビールに対する深い愛情を象徴するものであり、業界から注目されている所以だ。

炭酸ガスを使用したビールが主流ですが、うちは炭酸ガスを使わず高圧純窒素を使用したビールも提供しています。この純窒素を使用したビールは、黒ビールとして有名な「ギネス」のような非常にクリーミーな口当たりを実現しています。いわゆる「ナイトロビール」と呼ばれるものですが、純窒素のみを使用したビールの提供方法は世界初じゃないかと自負しています。厳密には、ギネスは炭酸ガスと窒素の混合ガスを使用していますが、こうした混合ガスは仕入れることが難しいため、うちでは純窒素を採用しています。このビールは注ぐと最初は泡で真っ白になり、徐々に泡が落ち着いていくことでビールが現れてきます。この泡とビールが分離していく過程で味が変化していくのが特徴です。

最初は非常にドライな泡ですが、時間が経つとクリーミーな泡へと変化し、その味の違いを楽しむことができます。また、このナイトロビールのコーヒーバージョンも提供しており、「ナイトロコールドブリュー」としてコーヒーをお出ししています。


時間の経過とともに、味と口当たりが少しずつ変化するナイトロビールの楽しみ方は以下の通りだ。
1.タップから注がれた直後はグラスの中が泡で真っ白になる。この瞬間は泡が飲み物全体を覆い、軽くてドライな口当たりが特徴だ。最初のひと口は、そのふわっとしたドライな泡を楽しむ。
2.次に、泡が徐々に落ち着き、透明感のあるビールがグラスの中に出現する。この時点で、泡とビールが分離し始め、それぞれの味わいが明確に感じられるようになる。泡は軽さからクリーミーさに変化し、ビール本来の風味が少しずつ強調されていく。
3.泡が完全にクリーミーになった頃には、ビール自体も濃厚な味わいを感じられるようになる。泡の部分はなめらかでマイルドな口当たりになり、ビールの苦みや旨みがしっかりと楽しめるタイミングだ。この時点で飲むと、泡とビールのコントラストを堪能できる。

 

(ブロッコリーの揚げ物と共に。程よい塩加減と食感でビールがすすむ)

 

お酒は悪者か

長年クラフトビールと向き合っている千田氏は、昨今の「お酒」の位置づけには戸惑いを感じているようだ。

お酒を飲む人自体が少なくなっていますよね。「お酒を飲むとよくない」という根本的な考え方から、「お酒」が迫害されている印象すらあります。もっと「文化としてお酒を楽しもう」というカルチャーを醸成していきたいですね。お酒を文化としてもう少し楽しんでもらえるようになれば良いと思っています。
例えば、うちの定番ビールである「とりあえずビター」は、ヨーロッパで古くから伝わるビールです。歴史があり、多くの人に愛されてきたものが「体に良くないから」という理由で敬遠されてしまうのは非常に残念です。
また、最近は「安く飲みたい」という価値観が広がっているのも問題だと感じています。飲み放題のお店が増え、「とにかく安くたくさん飲みたい」というニーズがあるため、そういった形態が主流になっています。しかし、職人がクラフトマンシップに基づいてこだわり抜いて作ったビールは、そういった安価なお酒とは決定的に異なるものです。その価値を十分に伝えられていないことが、クラフトビール業界の課題だと思います。

日本の高度経済成長期には、みんながお酒をガンガン飲んでいましたよね。同時に経済成長とも結びつき、正のスパイラルを生み出していたように思います。しかし、現在では経済の成長が鈍化し、お酒を飲む機会も減少して全体的に盛り上がりに欠ける負のスパイラルに陥っているように感じます。もちろん、何事もやりすぎは良くないですが、もっとお酒を通じて楽しい時間を過ごすことができれば、雰囲気も良くなり、日本全体が活気づくのではないかと思います。

もちろん飲酒量と経済成長に明確な相関があるわけではないことは、千田氏も理解している。しかし、お酒を飲む場では人と人とのコミュニケーションが生まれ、そこに活気が生じることは間違いない。その活気や活力が「社会の勢い」と無関係であるとは言い切れないだろう。

様々な社会課題が日々取り沙汰される中、現在の日本を覆う陰鬱な雰囲気を、クラフトビールの力で少しでも変えたいというイサナの取り組みに今後も注目していきたい。(Beerboy 編集部)

 

ISANA Brewing
東京都昭島市昭和町2丁目7−15 エクセレンス昭島 1F-B

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