福生駅(ふっさえき)は、西東京に位置するJR青梅線の駅で、アメリカ空軍の横田基地に近接していることで知られている。駅周辺には横田基地関連のショップやレストランが点在し、アメリカンな雰囲気を感じられるエリアとしても人気だ。特に国道16号線沿いの「福生ベースサイドストリート」周辺では、基地文化と日本の街並みが融合した独特の魅力を楽しむことができる。
そんな福生駅から徒歩3分の場所に、オシャレな外観のブルーパブがある。「Fat Barley Brewing(以下、Fat Barley)」だ。今回は多国籍な住民が醸し出す独特な雰囲気の街でブルワリーを運営する「Fat Barley」の代表取締役 森氏にお話を伺った。
(福生駅前)
海外経験が育んだビール文化への情熱と挑戦
20代の頃多くの国でワーキングホリデーを経験した森氏が、ビール醸造に至る経緯について伺った。
2009年に、東京都羽村市でビアレストランという形で、1人で小さなお店を始めました。しかしその店が狭かったため数年後に倍くらいの広さのブリティッシュパブに移転しました。そこでは主に輸入ビールを提供していました。長年ビールに携わる中で、「いつか自分でビールを作りたい」という思いを持つようになりました。
2016年頃に将来的に酒税法が改正(*1)されるという話を耳にして、「今がチャンスだ。」と感じ、酒造免許の取得に動き出しました。そして、2017年から準備を始め、2018年に醸造を開始することができました。
2009年にビアレストランを始める前は、会社員として働いてある程度お金が貯まると会社を辞めて海外にワーキングホリデーに出かける、という生活を繰り返していました。20代の頃は、カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど、様々な国での生活を体験しました。このような海外での経験が、現在のビールづくりに繋がっていると感じます。
特に印象に残っているのはイギリスのパブです。街のおっちゃんたちが昼間から炭酸の弱いビールをちびちび飲みながら、ずっとおしゃべりをしている。その居心地の良い雰囲気には、まるでその場が「文化」として根付いているような感覚を覚えました。日本においても、自分がそういった「パブ文化」を根付かせられたら面白いな、と感じてビールの世界に飛び込んだんです。
20代は比較的「身軽な状態」で日本を出て、多くの国で働くことができる貴重な時期である。年齢を重ねるにつれ周囲の環境や状況による制約が生まれ、自身の行動に制限がかかることが多くなる。その結果、海外で挑戦するハードルは高くなる傾向がある。このような背景から、若い頃に得た海外での経験がビール醸造に繋がることは、ごく自然な流れと言えるだろう。
*1:2018年の酒税法改正ではビールの定義が変更され、麦芽比率の基準が従来の67%以上から50%以上に引き下げられたほか、副原料として使用できる範囲が広がり、果実やスパイスなどを使用した多様なビールが認められるようになった。また、2020年から2026年にかけて、ビール系飲料(ビール、発泡酒、第三のビール)の税率を段階的に統一し、最終的に350mlあたり約55円とすることで税負担の公平化を目指す方針が決まった。
福生という街が醸す異色なカルチャー
福生は言わずと知れた横田基地のお膝元だ。この横田基地の存在が、福生という街の特徴を色濃く表している。
最初は、福生の隣にある羽村市の小作というエリアでビアレストラン、ブリティッシュパブを運営していました。出身が青梅市で、この地域には土地勘があったため、自然と羽村市で始めることになりました。若いころから飲みに行くとなると、小作か福生というのが一般的だったので。
2018年に羽村市で醸造を開始しましたが、2022年のコロナ禍の時期に、店舗は羽村市のままで醸造所だけを福生の横田基地近くの飲み屋街に移転しました。しばらくは福生でビールを醸造し、羽村市のブリティッシュパブで販売するという形をとっていました。しかし、醸造所を移転した先が都市開発による区画整理で撤退を余儀なくされたため、2024年3月に現在の場所に店舗ごと移転することになったんです。Fat Barleyは開店してからまだ9か月ほどなんです。
福生には横田基地が近いため、お客様の約半分が海外の方です。会社員時代に横田基地関連の仕事をしていたこともあり、福生にはもともと親しみがありました。福生の魅力は「横田基地があり、16号線沿いの福生ベースサイドストリートに異文化が混ざり合ったカルチャーが広がっている」ことです。このアメリカ的な文化が非常に面白く、最近ではアメリカ以外にも多国籍な雰囲気が漂っており、福生という街の独特な魅力になっています。
特にアメリカ人はクラフトビール好きな方が多く、たくさんのお客様が訪れてくださっています。そういった海外のお客様の存在が店の雰囲気を作り上げてくれる点も、この場所の魅力だと感じています。
(福生ベースサイドストリート)
現在の日本におけるクラフトビールシーンは、アメリカのトレンドに影響を受けたものが非常に多い。日本のブルワリーは約800軒であるのに対し、アメリカのブルワリーは約10,000軒近く存在しており、日々新たなトレンドを生み出している。アメリカは世界のクラフトビールシーンを牽引している存在といえる。そのような「本場」アメリカのお客様が多く訪れることによって、Fat Barleyの味がさらに磨かれていることが想像できる。
ビールという飲み物は、全世界で愛される「共通言語」だ。国や文化を越えて、どこでも親しまれているこの飲み物は、多国籍な福生という街においても、さまざまな国の人々をつなぐ接点となっているのだろう。横田基地を中心に異文化が交わるこの街では、ビールがその多様性を象徴する存在としての立ち位置を確立しつつあるようだ。
福生を象徴する「ブルーパブ」を目指して
イギリスのパブやアメリカのビアバーといった店の雰囲気を再現しようとする森氏。その試みには、日本人特有のパーソナリティが一つのハードルとなっているようである。
醸造を始める際、アメリカ・オレゴン州ポートランドで醸造を学ばせてもらった経験があります。その際に感じた雰囲気やスタイルを、この店にも取り入れたいと考えています。提供するビールは、アメリカ人が好むビールスタイルを意識しつつ、店の雰囲気は気軽に立ち寄れるカジュアルなものを目指しています。一言で表すなら、「ブルーパブ」のスタイルそのものです。
(アメリカンを感じさせるメニュー)
店は建物に入って階段を上がった2階に位置している。階段を上りきると、左手には18席の椅子がゆったりとした間隔で配置されており、落ち着いて座れるスペースが広がっている。一方、右手には大きなスタンディングテーブルが設置されており、相席でお客様同士のコミュニケーションを楽しみながらビールを飲むことができる造りになっている。
アメリカ人のお客様は、スタンディングでも座りでも気にせず自由に飲みながら楽しんでくださいますが、日本のお客様は椅子席を好まれる傾向があります。また、日本のお客様はスタンディングテーブルを囲んだ相席に対してやや気まずさを感じる方が多いようです。一方で、アメリカ人のお客様は知らない人ともすぐに打ち解け、自然にコミュニケーションを取る姿が見られます。それに対し、日本のお客様は初対面の方との距離感に一定のハードルを感じる場面があるように思います。
海外では「日本人はシャイだ」と言われることが少なくない。確かに、日本人は初対面の場面で控えめな態度を取ることが多い。特に海外の人とのコミュニケーションにおいてはその傾向は顕著だ。その背景には言語に対する苦手意識が大きく影響していることも間違いないだろう。
こだわりの醸造設備から醸されるこだわりのビール
2024年3月に移転した新しい醸造所には、よく磨き上げられた新品同様の醸造設備が整然と並んでいる。その配置は緻密に計算されたものであり、機能美と職人の情熱が融合した空間と言っても過言ではない。
アメリカから輸入した設備を活用し、省スペースで効率的に醸造が行えるシステムを採用しています。この設備は、ホットリカータンクとマッシュタンを上下に重ね、その横にはボイルケトルとワールプールタンクを上下に重ね、マッシングからワールプールまでの一連の工程を効率よく進めることを可能にしています。省スペースで一定量の醸造量を担保するために、綿密に設計された醸造タンクの並びとなっているんです。
醸造工程で特に気を付けているのは、マッシュ(麦汁)の回収工程です。この工程には非常に時間をかけており、スパージングには2~3時間を費やしています。スパージングには通常のボールシャワーではなく、散水用のバルブを使用して少量ずつ水を出せるように調整し、より丁寧で繊細な作業を心がけています。
手前の上段がボイルケトル、下段がワールプールタンク)
(スパージング時に使用する散水用のバルブ)
スパージングで回収できる麦汁の「量」は醸造所の出来高、ひいては売上に直結する。また、その麦汁の「質」は、完成したビールの味に大きな影響を与える。つまり、マッシュの回収工程において「きれいな麦汁をより多く回収すること」は、ブルワリーにとって極めて重要な意味を持つのである。
定番メニューは特に設けていませんが、アメリカの醸造を学んだ経験と、お客様の約半分がアメリカの方であることから、アメリカで好まれているHazy IPAは細かくレシピを変えながら継続的に作っています。人気のあったものは年に数回仕込むこともありますが、固定のメニューという形では提供していません。
うちのHazy IPAに関して、ホップの使用量は他のブルワリーさんに負けていないと自負しています。本場アメリカのお客様にも満足いただけるようにホップを多く使っています。またホップの量だけでなく、投入するタイミングにも非常に気を遣っています。適切なタイミングでホップを投入しないと、ホップのえぐみが出てしまうため、細心の注意を払っています。
醸造開始当初は、煮沸時にホップを大量にダイレクト投入した結果、熱交換器がホップで詰まってしまい、大変なことになったという失敗も経験しました。それ以来、ホップを大量に使用する際はネットを使用して投入するように工夫しています。
ホップは多ければ多いほど芳醇な香りを引き出すが、単に量を増やせば良いというものではない。1分1秒にこだわった正確なタイミングでの投入によってホップの持つキャラクターを最大限に引き出すことが可能である。
近年ではホップの仕入単価が上昇しており、特に大量のホップを使用するHazy IPAはマイクロブルワリーの利益を圧迫する要因となっている。それでもなお、Hazy IPAを年間を通して提供し続ける森氏の姿勢には、「良いものを届けたい」という強い熱意を感じさせる。
変わり種のビールとしては、マイボックが挙げられます。このビールは「デコグション(*2)」という手法を用いて作っています。この手法は非常に手間がかかり、マイボックの仕込みには約11時間を費やしました。
マイボックを作ったきっかけは、知り合いのカレー屋さんの常連さんであるドイツ人の方からのリクエストでした。せっかくマイボックを作るなら、手間暇をかけてでもデコグションをやってみようと思い立ったわけです。お陰様で、マイボックの本場であるドイツ人のお客様からは「美味しい」と言っていただけました。
(左からMAI BOCK、EXOTIC THUNDER(Hazy IPA))
いかにも多国籍な街、福生ならではの誕生ストーリーである。クラフトビールの本場を知るお客様が多く訪れる環境だからこそ、他では得られないようなフィードバックやリクエストを受けることができるのだろう。
*2:デコグション(Decoction)とは、ビールの醸造過程で行われる糖化(マッシング)の手法の一つ。特にドイツやチェコの伝統的なラガービールで使用されることが多い技術で、以下のような手順で行われる。
糖化している最中の麦汁(マッシュ)の一部を取り出し、別の容器で加熱して沸騰させる。この加熱プロセスにより、麦芽由来の成分がより深い風味を引き出され、キャラメル化によって色が濃くなることもある。加熱した麦汁を元の容器に戻し、全体の温度を調整する。
この手法は麦芽の成分を最大限に引き出すことができるため、ビールに深みのある風味を与える。また異なる温度帯で糖化が行われるため、発酵に適したバランスの良い麦汁が得られる。時間と労力が必要な技術であり、効率化が重視される現代の醸造ではあまり一般的ではないが、伝統的な製法を重視するブルワリーや、特別なスタイルのビールを作る際に採用されることがある。
都心部と地方部のクラフトビールリテラシーギャップ
長年ビールに携わってきた森氏が感じる「クラフトビール業界が抱える課題」について伺った。
最も大きな課題として感じているのは、酒税の高さです。日本の酒税は世界的に見ても非常に高い水準にあります。毎月の酒税計算や申告には多くの手間がかかる上に、高額な酒税を支払い続ける現状には大きな疑問を持っています。ただ、この課題はスケールがあまりに大きく、すぐに解決するのが難しい課題だと認識しています。
一方で、より身近な課題として「地方部のクラフトビールリテラシー低さ」を感じています。福生のような地方部では、クラフトビールに対する理解が十分に得られていないのが現状です。都心部では昨今のクラフトビールブームによって、徐々にクラフトビールへのリテラシーが上がっている印象がありますが、地方ではまだまだ浸透していません。「普通のビールはないの?」とか「一杯の価格が高い。」と言われることも多いです。多国籍な町である福生では、クラフトビールリテラシーの高いアメリカ人のお客様が多い一方で、日本人のお客様のリテラシーの低さが逆に際立ってしまっているように感じます。
このリテラシーの課題に対しては、時間をかけて丁寧なコミュニケーションを重ねていくことが重要だと考えています。町のイベントにも積極的に参加しながら、一歩一歩地道な取り組みを続け、クラフトビールへの理解を深めていただき、その価格帯を受け入れてもらうための啓蒙活動を進めていきたいですね。
都心部ではビアバーが乱立し、お客様のクラフトビールリテラシーが着実に向上している。一方で、地方部におけるリテラシーは依然として低い状態にある。これには、地方ではクラフトビールに触れる機会が都心部に比べて圧倒的に少ないことが大きく影響していると考えられる。
しかし、幸いにも福生にはクラフトビールリテラシーの高い海外のお客様が多い。このようなリテラシーの高い海外のお客様と、リテラシーの低い地元の日本のお客様が共存しながら、地域全体のクラフトビールリテラシーを底上げしていくことが、今後の大きな課題でありポイントである。
福生というアメリカ文化と日本文化が織り交じる独特な街で、独自のクラフトビールカルチャーを築きつつあるFat Barley。その挑戦と取り組みに注目が集まる。(Beerboy 編集部)
Fat Barley Brewing
〒197-0022 東京都福生市本町128−1