都内から車で1時間強、埼玉県飯能市の自然あふれる山あいに、突如として現れる巨大な醸造所。雄大な自然のど真ん中に佇む「CARVAAN Brewery & Distillery(以下、カールヴァーン)」は、異国情緒あふれる大箱レストランとして、圧倒的なアラビアンの世界観を放つ。
敷地内に足を踏み入れると、目の前に広がるのは巨大な醸造タンクが生み出す迫力と、その機能美が際立つ空間。細部まで計算されたデザインと、異国の文化が息づく装飾が見事に調和し、一瞬で非日常へと引き込まれる。
今回は、この唯一無二の空間で、カールヴァーンの醸造・蒸留責任者である 木村氏に話を伺った。
(醸造所入口)
(レストランの入口)
「ものづくりの楽しさ」から「ビール醸造の楽しさへ」
現在43歳の木村氏が歩んできたブルワーとしてのキャリアは、一貫して「ものづくり」にこだわってきた。そういったキャリアはこれから業界に飛び込む新人ブルワーにとって、まさに眩いものに映るだろう。
キャリアのスタートは西東京にある酒蔵でした。20歳で入社し、退職するまでその酒蔵のビール部門を担当していました。
酒蔵への就職を決めたのは、学生時代に日本全国を旅していたときに、「日本人の温かさ」を強く感じたことがきっかけでした。旅行で汗まみれに汚れた私を軒下で休ませてくれたり、さらにご飯をご馳走してくれたりする人がたくさんいたのです。こうした経験を通じて、日本人の優しさに深く感銘を受けました。もともとものづくりに興味があったのですが、次第に「日本にまつわるものを作りたい」と考えるようになったんです。
そんな中で、酒蔵の求人を見つけました。日本酒は、「日本人のアイデンティティのど真ん中」だと感じ、思い切って門を叩きました。そして20歳で酒蔵の世界に飛び込みました。
入社日、日本酒造りへの期待に胸を膨らませていた私が配属されたのが、ビール部門だったわけです(笑)。それまではビールが特別好きというわけではなく、ビアスタイルによって味が異なるという基本的な知識すら持っていませんでした。さらに、醸造所特有の匂いにも最初は慣れず、戸惑うことも多かったです。しかし、1か月ほど働くうちに環境に慣れ、次第に「仕事を覚えること=ものづくりを覚えること」が楽しくなりました。
3年目には醸造責任者となりましたが、その時点で社内には私よりもビールの専門的なキャリアを持つ人がおらず、ミスをしても誰にも教わることができず原因が分からないことも多々ありました。そんな状況を乗り越えるために、自ら本を読み研究を重ね、他のブルワリーを訪れて学ぶ努力をしました。
他のブルワリーに行くようになると、そこで作られている多様なビールを飲む機会が増えました。そして、「こんなにも美味しいビールがたくさんあるのか!」と驚き、ビールの奥深さを実感しました。それが28歳の頃でした。こうして振り返ると、28歳までは「ものづくりの楽しさを味わう時期」で、28歳以降は「ビールそのものの魅力を楽しむ時期」へと変わっていきました。
もともとビールに興味がなかった自分がビールに魅了される経験を通じて、私の根本には「ビールが嫌いな人をビール好きにしたい」という想いがあります。
キャリアのスタートがビール醸造家であり、その後も一貫してビール醸造の道を歩んできたブルワーは実は少ない。これまでの多くの取材においても、サラリーマンから転身したブルワーが大半を占めていた。
そんな中、20年以上にわたりビール醸造と真摯に向き合ってきた木村氏の専門性は、まさに目を見張るものがある。
私が勤めていた酒蔵ではレシピがすでに決まっており、ビール部門の醸造長として働いていても、自分で考案したレシピではなく既存のレシピを改良することが主な業務でした。
13年間の在籍中に、自分がゼロから手がけたビールは1アイテムで、そのブランドには全力を注ぎ、初年度150㎘の販売を達成しました。そのブランドは、今や多くの事例となっている、「野球場やサッカー場で販売する"スタジアムビール"」の先駆け的な存在にもなり、想像以上の反響に驚きました。ある意味、そこで一度燃え尽きたのかもしれないですね。
お世話になった酒蔵を退職した後、しばらくフリーでビール醸造に関するコンサルティングを行っていましたが、再度自分で醸造することを志向しました。やっぱり自分は「ものづくり」が好きなので。ブルワリーの募集情報を探す中で、カールヴァーンの運営会社「㈱FAR EAST」がカールヴァーンのオープニングスタッフを募集していることを知りました。有難いことにいくつか大手のクラフトビール会社さんからオファーいただいていたのですが、既に確立されたブランドではなく、自分の手で新たにものを作り発信していく環境を求めていたので、㈱FAR EASTの門を叩いたのです。
FAR EASTの募集を発見したとき、社長が発信しているメッセージに深く感銘を受けました。当社はドライフルーツやナッツの専門商社ですが、「世界各地との貿易を通じて、単なる物の輸送にとどまらず、多様な文化を掘り起こし、日本まで届けること」を使命としています。本来交わることのなかった人や価値観の間に共感を生み出し、それぞれの中で新たな価値が昇華されることを目指している。という会社のミッションに強く共感したんですね。
当時、カールヴァーンではレストランスタッフの募集のみで、ブルワーの募集はありませんでしたが、これまでの実績を評価していただき、ブルワーとして採用されることになりました。
カールヴァーンにジョインして、7年間経過しますが、1年間で20種類近くの新作レシピを創作することができています。自分にこれほどアイデアが生まれることに驚いてます(笑)。
大手ブルワリーは豊富な資金力を背景に、マイクロブルワリーでは実現が難しい高度な設備を備え、品質の高いビールを大量に流通させることができる。一方で、ブルワー個人が自らの好みのレシピを考案し、新作を次々と発信する機会は限られているのかもしれない。
年間20近くの新作を創作し続ける木村氏の目には、尽きることのない好奇心が宿っていた。
Carvaan ~「風の民」ベドウィン族が立ち寄るオアシス
冒頭でも触れたように、飯能市の川のほとりに、結婚式場とも思えるほどの豪華絢爛な店「カールヴァーン」がある。この飲食店にはどのような想いが込められているのだろうか。
「Carvaan(カールヴァーン)」という名前の語源はペルシャ語であり、英語では「Caravan(キャラバン)」にあたります。意味は「隊商」で、中東を旅する商人たちのキャラバンを指します。
もともと当社はドライフルーツを主力として扱っており、特にデーツの実を主力商品として販売していました。デーツはクレオパトラが美容のために愛食したとされるスーパーフードで、中東ではよく生産・消費される果実です。その背景から、当店もアラビアンコンセプトを取り入れています。ラクダの隊商が旅の途中で立ち寄る市場のように、さまざまな人々が集まる「大人の社交場」を目指しています。
ご来店いただくお客様には非日常の空間を提供したいと考えています。そんな想いからOPEN当初にはドレスコードを設けていました。これはタキシードやドレスといったフォーマルな服装を求めるものではなく、「ラフすぎなければ良い」という意味合いです。非日常の空間を演出するうえで、過度に日常的な服装が雰囲気を損なうことを避けたかったのです。特別なディナーを楽しむ場として、お客様に非日常の体験を味わっていただきたいという思いから、このようなルールを設けました。基本的には、「大切な友人や恋人と特別な時間を過ごすときの装い」であれば問題ないという解釈です。現在ではドレスコードは設定していませんがお客様には、この非日常の空間で大切な人とともに、特別なひとときをお楽しみいただければと思います。
(店の眼下には、豊かな自然に囲まれた川が流れている)
(異国情緒あふれる店内)
店内はアラビアンテイストで豪華な雰囲気に包まれており、まるで異世界に足を踏み入れたかのような感覚を覚える。
中東の骨董品が随所に配置され、空間全体がアラビアの異国情緒を漂わせている。その独特の装飾が、訪れる人々を非日常へと誘う。ひと際目を引くのが、店内に描かれた大きな壁画である。この作品は、ニューヨーク在住の日本人ペイントアーティスト・Dragon76氏によるもので、オアシスでバザールが開催されている様子が描かれている。 そこには、「風の民」とも呼ばれるベドウィン族の姿があり、長老が風を頼りに旅の方向を決める様子が表現されている。その壮大な物語と情景が、店内の空間にさらなる奥行きをもたらしている。
(店内を彩る装飾品の数々)
(ベドウィン族の壁画)
自称「ビビりのブルワー」のこだわり
醸造歴20年を誇る木村氏のこだわりは、初期の失敗経験を糧に培われてきたものである。
基本的なこと、特に衛生面には異常なレベルで気を配っています。適切な清掃とメンテナンスには一切妥協しないということですね。それにはあらゆる場所に気を配るというよりは、醸造工程で気を付けるポイントを徹底的に抑えるということが重要だと思います。「汚れること」と「汚すこと」は異なります。「これをやったらここが汚れる」ということを理解していれば、衛生的な環境を維持することができます。私は、醸造作業の中でどこが汚れやすいのかを正確に把握しています。長年の経験を通じて、押さえるべきポイントを理解し、それに基づいたメンテナンスを行っているわけです。
ものづくりにおいて、「良いものを悪くするのは簡単」だと考えています。例えば、どんなに品質の良いビールを作っても、注ぐグラスが汚れていれば、その価値は台無しになります。一方で、品質の低いビールをいくら綺麗なグラスに注いでも、美味しくなることはありません。つまり、良いものはちょっとしたことで簡単に悪くなり、悪いものはどんな工夫をしても良くならないということです。
せっかく良い原材料を輸入しても、保存環境が悪ければ意味がありません。そのため、保存環境にも細心の注意を払っています。醸造所のすべての設備や器具に気を配り、良い状態で管理された原材料を使用し、最適な環境でビールを醸造し、適切な容器やサーバーを通じて、清潔なグラスに注ぐ。こうした一連のプロセスがあってこそ、最高の結果が生まれると考えています。
(撮影者が映り込むほどに磨かれた鏡面タンク)
ビール醸造において、雑菌は最大の敵であることは言うまでもない。この目に見えない脅威の影響を完全に排除することに、すべてのブルワーが心血を注いでいる。
Carvaanの醸造設備は、発酵タンクだけでも2,000リットルが3基、500リットルが4基と、広大なスケールを誇る。しかし、そのすべてのタンクは新品同様に磨き上げられ、徹底的な衛生管理が行き届いている。 それこそが、木村氏の長年の経験に裏打ちされた「卓越した衛生管理」の証である。
そんな木村氏のこだわりは、醸造初期の失敗経験を経た末にたどり着いた結論である。
醸造経験がまだ浅かった時に1か月で2,000リットルの仕込みを3回失敗したことがありました。そのときは精神的に大きく落ち込みました。
当時、ラガービールを醸造していましたが、使用したラガーイーストの状態が悪かったのです。アメリカから輸入したリキッドイーストを自社で培養していたものの、培養環境が整っておらず、活性率の低いイーストをそのまま使用してしまいました。その結果、発酵不良が起こってしまったのです。
私は、「ビビりなブルワー」なので、少しでも不安要素があればそれをすべて取り除きたいと考えています。仮にあらゆるリスクを除外できずとも、これらのリスクを想定しておくことで、醸造中のイレギュラーな事態が発生した際の初動が速くなります。さまざまなトラブルのパターンを想定し、準備をしておくことで、緊急時の対応力を高めることができるのです。
経営の神様・稲盛和夫氏の名言、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」を体現するエピソードである。木村氏は計画段階において、徹底的に悲観的な視点を持っている。それでも、レシピ作りの段階では楽しみながら取り組み、醸造段階に入ると、成功に向けてひたすら前進する。このスタンスこそが、醸造家にとって重要な要素であると言えるだろう。
「あえてIPAは選ばない」という意思決定
現在、定番のビールは4種類あります。「スペルト・ヴァイツェン」、「CARVAAN・ベルジャンホワイト」、「アラビアンライム・エール」と「アンデスカカオ・スタウト」です。
スペルト・ヴァイツェンは発酵工程に特徴がある製法を採用しています。酵母が発酵する際に発酵熱が発生するのですが、発酵温度が上昇するとエステル(*1)を発生するんですが、その現象を利用し(季節による上下はあるものの)発酵温度を最高27.5度まで上昇させて一気にエステルを発生させ、その後一気に16度まで急冷します。エステル発生後に発酵を終えてしまうと香りが強くても味の薄いビールになってしまいます。そのため、最初に香りをしっかり引き出し、その後低温発酵によって味をしっかりと形成するという手法を取っています。
CARVAAN・ベルジャンホワイトは柑橘の風味を引き立てるために、自社製造のゆずピールを使用しています。使用するゆずピールは、「綿が付いているもの」と「表面の皮だけのもの」に分け、それぞれ異なる役割を持たせています。冬の時期には、ゆずの香りをしっかりと際立たせるために皮の部分を多めに使用し、夏にはほろ苦さを加えるために綿付きのピールを多めに配合しています。レギュラービールではありますが、季節によってゆずピールの配合を微調整しながら仕込んでいます。
*1:エステル(Ester)とは、ビールの発酵過程で酵母が生成する香り成分の一種。フルーティーな香りを持つものが多く、バナナやリンゴ、洋ナシ、柑橘類のような香りを生み出す。エステルはビールの香りを豊かにする重要な要素だが、過剰に発生するとバランスを崩すことがある。
(CARVAAN・ベルジャンホワイト)
(左が綿付のゆずピール、右が表面の皮のみのゆずピール)
JAPAN GREAT BEER AWARDSやInternational Beer Cupで数多くの賞を受賞してきた「スペルト・ヴァイツェン」は、深みのある味わいと、一呼吸おいて鼻を抜けるフルーティーな香りが印象的なビールである。
また、「CARVAAN・ベルジャンホワイト」は、コリアンダーのスパイスとゆずの酸味が絶妙に溶け合い、洗練された味わいを持つ逸品である。こちらもJAPAN GREAT BEER AWARDSにおいて金賞を受賞している。
一方で、現在のクラフトビール市場を牽引しているとも言える「ホップを潤沢に使用したIPA」は定番商品としては製造していないという。
当社では、基本的にIPAを定番化しない方針をとっています。もともとIPAを作らないと決めていたわけではありませんが、結果的にそうなりました。特に強いこだわりがあったわけではないのですが(笑)。
では、なぜIPAを定番化しないと考えたのか。その理由は大きく2つあります。
1つ目は「美味しいIPAはすでに市場に溢れている」ためです。世の中にはすでに美味しいIPAが数多く存在し、それぞれが高いクオリティを誇っています。どのブルワリーも個性を持った上質なIPAを造っている状況です。そのため、当社ではIPAではない別のビアスタイルを定番化しようと考えました。
2つ目は「ホップ確保が困難な状況になるリスクがある」ためです。現在のIPAは、大量のホップを使用する傾向にあります。前述しました「酒蔵勤務時代に私が手がけたビール」を醸造していた際も、アメリカンホップを大量に使用しました。特にシトラとアマリロを採用していましたが、発売からわずか1週間で、大手ビールメーカーがクラフトビール市場に参入し、シトラを市場からほぼ買い占めてしまいました。その影響で、日本市場からシトラが一気に消え、2回目の仕込み時には入手が困難になりました。結果的にアメリカやヨーロッパから直接ホップを買い集め、何とかホップを確保しました。この経験から、IPAを定番化するとホップの供給問題に巻き込まれるリスクが高いと感じました。自分が本当に造りたいビールが、そういった事情で造れなくなるのは、本末転倒だと考えています。
確かに、現在のブルワリーでIPAを定番化していないところは少ない。市場には、各ブルワリーが個性を打ち出したIPAが数多く存在し、どれも非常に高い完成度を誇っている。
そんな中で、あえて流行に迎合せず、自らの哲学を貫くカールヴァーンのスタンスは、独自の信念と矜持を感じさせる。トレンドに流されるのではなく、ビール造りに対する確固たる思想を持ち続ける姿勢こそが、このブルワリーの魅力を際立たせている。
過当競争に巻き込まれるマイクロブルワリーが生き残る道
現在、クラフトビール市場の成長は踊り場を迎えている。一方で、ブルワリーの数は急増しており、競争環境は必然的に激化している。 このような状況下で、マイクロブルワリーが生き残る道とは何か。
全国に800弱の醸造所が存在する中で、日本の市場規模を考えると、マイクロブルワリーが増えすぎている印象を持っています。これは、かつての地ビールブームの際に起こった現象と同じような状況に陥るのではないかという懸念があります。
ただし、これはマーケット自体が縮小するという意味ではなく、あくまで「作り手側の淘汰が進むのではないか」という見方です。特にコロナ禍では、事業再構築補助金をはじめとするさまざまな補助金や、国の政策としての融資が広く提供されました。中には返済が必要なものもあり、こうした国の支援に頼らざるを得なかったブルワリーは、今後その返済負担が大きくなり、経営の維持が難しくなっていくのではないかと危惧しています。
かつての地ビールブームの終焉は、乱立した醸造所の中に品質が安定しないものが多く存在し、味の劣化とともに消費者が離れていったことが一因と考えられる。では、現在のクラフトビールブームにおいても、同じ現象が起こりつつあるのだろうか。
いいえ、必ずしもそういうわけではないと考えています。 現在のクラフトビールは、IPAなどホップを大量に使用し香りを際立たせるスタイルが主流となっています。そのため、ある程度経験の浅い醸造所であっても、大きな味の劣化は起こりにくいと感じています。誤解を恐れずに言えば、「大量のホップを使うことで、ホップの強い香りでごまかしが効く」と言えるかもしれません。
しかし、それでも多くのマイクロブルワリーは生産量が少なく、その規模では経営の持続可能性が低いと考えています。そのため、ブルワリーが生き残るためには、醸造量を増やし、安定した生産体制を築くことが必要だと思っています。
競争環境の激化により市場のプレイヤーが淘汰されることは、市場原理の一環とも言える。それ自体が直接的な問題ではなく、むしろ懸念すべきは「プレイヤーの減少によって、まだ成長途上にあるクラフトビール市場のイノベーションが阻害されること」である。これは、市場の発展にとって大きな課題となるかもしれない。
基礎に徹底し、リスクを最小限に抑えながら、店舗周辺では多くの原材料を栽培し、日々新たなレシピを考案しつづける木村氏要するカールヴァーンがクラフトビール市場に巻き起こすイノベーションに今後も注目していきたい(Beerboy 編集部)
CARVAAN
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